ウチコミ!タイムズ

賃貸経営・不動産・住まいのWEBマガジン

先祖供養と仏教――東日本大震災でクロースアップされた「お迎え」体験

正木 晃正木 晃

2021/03/10

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

イメージ/©︎Victor Koldunov・123RF

ホスピスで行われたアンケート調査

「お迎え」とは、人の死に際して、死の直前に、亡くなった親や親族、友人が訪れる、あるいは特別な風景を見るという現象である。やや硬い表現を許していただくなら、終末期にある人のもとに、死後世界に属しているはずの存在から、なんらかの接触があったという話だ。

「お迎え」はそう頻繁に起こるものではなく、むしろごくごく稀なことと考えられてきたが、実は案外、頻繁に起こっていた。それが分かったのは、2011年3月11日の東日本大震災より前の時点だったのだが、その時点ではあまり注目されなかった。多くの人々から関心を寄せられることになったのは、東日本大震災後、「幽霊が見える」という悩みが多く寄せられたことがきっかけだった。

「お迎え」が予想を超える高い確率で起こっていたことが分かったのは、2003年1月1日から2007年1月31日の間に、宮城県の各協力医診療所の緩和ケアを利用し、在宅で看取りをおこなった遺族を対象とした悉皆(しっかい)調査のおかげである。

それをまとめた「現代の看取りにおける<お迎え>体験の語りー在宅ホスピス遺族アンケートからー」によれば、死を前にした人々の半数近くが、なんらかの「お迎え」を体験していた。

質問項目は、故人の宗教性などのほかに、看取りの際の経験について、「あるとき、患者さま本人が、自分の最期が近いことを悟ったようだった」という質問と、「患者さまが、他人には見えない人の存在や風景について語った。あるいは、見えている、聞こえている、感じているようだった」という質問を設け、それぞれ有り・無し・不明の選択肢を用意した。

この二つの質問はさらに、最初に気づいた人・時期・場所と、故人の様子と回答者自身の受けとめ方について尋ね、「見えない人の存在や風景」については、見えた(あるいは、聞こえた、感じた)と語った内容についても答えてもらっている。

「お迎え」調査で最も注目すべきは、故人に見えたらしい人物の大半が、すでに亡くなった家族もしくは知り合いであり、神仏はきわめて少なかった事実だ。とりわけ、浄土信仰の本尊たる阿弥陀如来にいたっては皆無だったことは、見過ごせない。

問題は、こういう事態は、仏教が衰退傾向にある現代だからこそ生じたのか、それとも以前からそうだったのか、である。言い換えれば、かつて仏教があつく信仰されていた時代は、阿弥陀如来をはじめ、仏菩薩たちが「お迎え」に来ていたのに、近代化を遂げた日本の社会ではそういうことはなくなったと考えるべきなのか否か、という問題である。

この種の研究はおそらくないであろう。そもそも、これまではこういう問いが発せられる機会がなかったのだから、それもやむをえない。

ただ、留意すべきことはある。それは浄土真宗では往々にして、阿弥陀如来のことを「親様」と呼んできた事実だ。

「霊」の存在を否定してきた現代仏教

ここから先は私の臆断になるが、いつからとはいえないものの、日本の場合、かなり古い時代から、「お迎え」に来ていたのは実は、親などの近親者や知人だったのではないか。そして、仏教では、親などの近親者や知人は、ほんとうは仏菩薩が、臨終の人が受け入れやすいようにするために、あえてそういう姿であらわれたという解釈をしてきた、あるいはそういう教義を構築してきたのではないか、ということだ。

この点に関して注目すべきは、宗教人類学者の佐々木宏幹先生(駒澤大学名誉教授)の見解であろう。佐々木先生によれば、日本人の「ほとけ」には、以下の三つの意味が秘められている。

①仏教の如来
②死者・死霊
③成仏した先祖霊・遺骨

そして、本尊も「ほとけ(仏)」、先祖も「ほとけ(先祖霊)」であるなら、人々は教理としての「ほとけ(仏)」よりも身内としての「ほとけ(先祖霊)」に惹かれるのが自然であろうと述べている(『仏力』春秋社)。

「現代の看取りにおける<お迎え>体験の語り―在宅ホスピス遺族アンケートから―」でも、「『ほとけ』観念における『仏』と『霊』との重層化という佐々木宏幹の議論に通じる」との指摘が、註釈に見られる。

近代仏教学は、仏教から「霊」を排除せよ、と主張してきた。しかし、死の現場では、それは所詮、空虚な理屈にすぎなかったのではないか。そう思わざるを得ない現実が、いま私たちの前にある。

もし仮に、「お迎え」が親をはじめとする近親者が深くかかわっているとすれば、先祖供養が注目されることになる。ご存じのとおり、日本仏教では、先祖供養が重要な位置を占めてきた。しかし、その反面で、先祖供養などは、本来なら仏教とは無縁で、たんなる習俗あるいは慣習にすぎないという見解もよく耳にする。果たして、それは本当なのだろうか。

初期仏教にまつわる文献の研究からすると、ブッダ自身は先祖供養とは無縁だった。しかし、ブッダの入滅後、そう遠くない段階で、仏教が先祖供養に舵を切ったようである。

仏教における先祖供養のはじまり

では、仏教における先祖供養の起源はどこにもとめられるのか。有力な説の一つは、死後、忉利天(とうりてん/三十三天)に再生した摩耶夫人のために、ブッダが誰にも告げず、雨安居(うあんご)の三カ月のあいだ、この天にのぼり、母のために説法し、サンカーシャというところに降りてきた(三道宝階降下)という伝承である。

この伝承は、いわゆる原始仏典の『増一阿含経』巻二八「聴法品」などに出てくる。したがって、ブッダの入滅後、遅くとも200~300年以内に成立した可能性が高いと考えられている。

さまざまな文献から推測すると、紀元前3世紀ころの、アショーカ王の時代には、この伝承が民衆のあいだに流布し、民衆にも、いま現に生きている父母はもとより、すでに亡くなってこの世には存在しない父母に対する報恩の行もまた、推奨されていたことがうかがえる。

もちろん、すでに述べたとおり、歴史上のブッダは、生きているうちに、父母をはじめ、かかわりのある人々に対して孝養を尽くすことは奨励しても、祖先供養や追善供養に対しては、否定的だった。出家僧の行動規範をしるす律蔵に、生母摩耶夫人説法の伝承が見当たらない理由は、そのためらしい。

しかし、民衆のあいだでは、先祖供養や追善供養が待望され、仏教教団としても、それを無礙に否定できなかった。三道宝階降下の伝承は、そう示唆している。

ちなみに、インドで仏教と対抗関係にあったヒンドゥー教は先祖供養をしない。また、仏教では盛んな遺骨崇拝もしない。この二つの歴史的な事実を知る人はごく少ないようだが、仏教の本質を考えるうえでは、ぜひとも覚えておく必要がある。

ようするに、遺骨崇拝も先祖供養も、仏教の原点あるいは原点近くに起源があった。これはまぎれもない事実だ。そして、この二つが日本人の感性と合致して、「日本仏教」の原型をつくりあげたのである。

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

ページのトップへ

ウチコミ!