単なる入口ではない「門」に与えられたさまざまなの深い意味
正木 晃
2019/07/24
「金剛界系曼荼羅」 幾重にも堅固な牆壁が設けられ、東西南北に設置された門には、門衛が描かれている
門構えのある家といえば、立派な家の代名詞です。敷地ぎりぎりに家が建てられているようでは、門をつくれませんから、多少なりとも余裕が必要になります。今でも地方に行くと、門から家屋まで100メートル以上もある立派な家にお目にかかれます。
土地の価格がとんでもなく高い東京都内でも、そんなところがまったくないわけではありません。たとえば、港区白金台5丁目にあって、現在は東京都庭園美術館になっている旧朝香宮(あさかのみや)邸がその典型例です。
皇族の朝香宮鳩彦王(やすひこおう)の邸宅として、昭和8(1933)年に竣工。そのころフランスで流行していたアール・デコ様式の洋館です。その後、吉田茂首相の公邸や海外からの賓客をもてなす迎賓館にも転用されました。
もともと皇族の邸宅だっただけに、ほんとうに広大です。敷地面積は約1万坪もあります。正門から旧朝香宮邸の本館玄関までは、直線距離にして200メートル以上あり、実際には曲がりくねっていますから、玄関に到着するまでにはけっこう時間がかかります。
現代では、門の役割はたいていの場合、家の単なる入口にすぎません。しかし、かつては深い意味がいろいろ秘められていました。そもそも門は、敷地の内部を外部からの侵入から防ぐための、いわば防御施設でした。ですから、高い塀や壁とセットでした。この形は、お城や本山クラスの巨大な寺院を訪ねると、今でも見られます。
そういえば、わたしの近所にも有力な政治家のご邸宅があるのですが、そのご邸宅は、一般人の家では、とうてい考えられないような高い塀に囲まれ、門には警察官が常駐する詰め所があります。まるで小規模な要塞みたいな構造です。
内と外を分ける門、内と外をつなぐ門
門の中では無邪気に遊ぶ子どもの姿、門の前には父親が子どもたちを救うために羊、鹿、牛が引く三種の車を用意している(東京・柴又帝釈天「帝釈堂/法華経説話彫刻」)
防御施設としての門は、宗教絵画にも見出せます。弘法大師空海を祖とする真言密教が、ブッダの教えを、言葉や理屈ではなく、視覚を通して伝えるために考案した曼荼羅が、まさにそれに当たります。
曼荼羅はたくさんの仏菩薩や神々の姿で満ちあふれています。でも、それがすべてではありません。目を凝らしてよく見ると、全体が二重三重の牆壁で、がっちりと囲まれているのです。そして、その牆壁の東西南北に門があります。さらによく見ると、門には防御を担当するので門衛と呼ばれる神々が描かれています。文字どおり、完璧な防護体制です。内部の聖なる領域に、邪悪な者どもを絶対に侵入させないというわけです。
そうかと思うと、門が内部と外部を結ぶ救いの道として設定されているケースもあります。『法華経』の「三車火宅」の章です。
この章では、わたしたちが今生きている世界は、仏の目から見れば、煩悩という猛火に覆われています。つまり「火宅」の中にいるのです。ところが、わたしたちは、自分たちが猛火に覆われて、焼死寸前の状態にあることに気付いていません。このままでは、焼け死ぬしかありません。
この「火宅」は、広大な面積の大邸宅として描き出されています。大邸宅ですから、門が複数あって良いはずなのに、門はたった一つしか設けられていません。でも、そこから出てくれば、「火宅」の中にいる者たちは皆、救われると書かれています。とすれば、門の存在に気づくか気づかないか、これが人生の分かれ目です。その門こそ、『法華経』の教えである、というのがこのエピソードのおちになります。
この記事を書いた人
宗教学者
1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。