“らしきもの”があるだけで、人は「真実」と思い込まされる
遠山 高史
2020/11/18
©︎Galina Peshkova・123RF
情報化社会と言われる現代、「メディア」の力が増している。メディアとはなんだろうか。日本語になおすと、「情報伝達媒体」である。その昔は、瓦版であり、新聞であり、少し時代が進んで、ラジオ、テレビが加わり、インターネットの時代になった。それらは、文字だけでなく、今では、音と映像によって人々の心に情報を刻み付ける。
センセーショナルなキャッチコピーと、いかにも真実であるというような映像と「科学的な根拠に基づいた数値」らしきもの、を付属すると、人はその情報を真実だと思い込んでしまう。
しかし、この世に発信されている、ほとんど全ての情報は、より人々の目を引くために「造られている」ということをどれだけの人が心に留めているだろうか。
この世に発信されている、一見、信憑性がありそうな情報を、どのように受け止めるのかは、個々の責任に寄るものであるということを知っている人は意外に少ないのではないだろうか。
「情報」は説得力を強化し、人の心をつかむ
Y氏は、業界では大手と言われる衣料品店の営業職であった。彼の持ち味は、自信に満ちたトークと、そして、自社商品の販売状況を分析したデータであった。
商談の席で、商品の売り上げと利益率を几帳面にならべたグラフを提示しながら、これだけ販売すれば、これだけの額が見込めると、自信たっぷりに説けば、客はあっさりそれを信用する。「情報は大きな武器だ。データの分析は最も大切なこと」とは、その当時のY氏の口癖であった。
実際、Y氏の「語り」には、一種のカリスマ性と説得力があった。精悍な顔立ちながら、笑顔に愛嬌があり、それも人を引き付けた。若手のバイヤーにはかなり人気があったので、売り上げ成績は良かった。
入社して数年後Y氏は、新設される部署の事業部長に抜擢された。業務開始の初日、Y氏は、自作のマニュアルと販売実績のデータを配布し、「この通りにやれば、絶対に成果がでる」と、いつもの笑顔と語り口で、部下たちを鼓舞した。
部下たちは、その自信に満ちた態度と、綿密な販売データを見て、この人についていけば間違いないと思った。
そして、Y氏は部下たちのために、よりわかりやすいマニュアルと、精密なデータを出すべく、パソコンに向かい、日々数字とグラフとを分析することに精を出した。
ところが、Y氏の思惑に反して、売り上げが下がりだした。ファッションの世界は、流行り廃りがあるから、それも原因の一つであったようだが、他の部署は、Y氏の部署ほど急激な悪化は見られなかった。Y氏は焦り、ますます、データに傾倒しはじめた。
部下たちの能力が、他の部署に劣っていたわけではない。設立当初、部下たちは奮闘し、しばらくの間はトップに近い売上高をマークしていた。
都合の良すぎる情報と人は信用するな
売り上げ下落の原因は、Y氏の怠惰によるところが大きい。
取引は、商品を売り込むだけが仕事ではない。むしろ、アフターケアの方が大切で、好調な時は、あまり問題にされないが、業績が悪くなればなるほど、こまめな客対応が要求される。そして、それは決まって、面倒くさく、煩わしい物である。Y氏は、クレームがあっても、部下に指示をするだけで、自身は客先に赴くことはなかった。そして、彼が最も部下から嫌われたことと言えば、決断をしないということであった。客の出方をあれこれと分析しだすので、いつまでたっても結論が出ない。部下は、上司の決定がなければ、動きにくくて仕方がない。Y氏の武器であったはずの情報は、常に変化する顧客からの無理難題の前では役にたたなかった。実を伴わぬY氏の言葉は重みがない。部下からは次第に軽視されるようになり、最後には、顧客にまでその発言を疑われるようになった。
結局Y氏の部署は、設立からわずか3年で解体が決まりライバルの部署に吸収され、Y氏は、懇意にしていた下請けに転職することとなった。
昔、とある企業家から「都合の良すぎる人間と文言は、信用しないこと」と教わったことがある。初めのうちは、Y氏のカリスマ的な語りと、いかにも正確でありそうなデータは、部下たちの欲望に響いたのである。が、しかし、時を追うごとに、それは空虚な中身のない物だということが露呈し始め、困難な時期がやってきたとき、まったくと言っていいほど、機能しなかった。
人の心を動かすことは容易である。人々の欲求を満たすようなフレーズを打ち出せばよい。しかし、それのみでは、何も現実に作用しない。それよりも困難なのは、人の心を繋ぎとめておくことである。これには、実を証明せねばならない。
前述の企業家は、「情報から価値を生み出す方法は、自ら行動すること」と付け加えた。
人心を魔術師のように操る方法は無い。情報は唱えれば何か素晴らしい物を召喚できる呪文ではない。氾濫する情報に惑わされることなく現代を泳いでいくためには、発信する側も、受け取る側も、実際に身体を動かし、状況に合わせてトライアンドエラー繰り返すことにつきるようである。
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この記事を書いた人
精神科医
1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。