イイカゲンを良い加減で受けいられない日本人の「同調圧力」
遠山 高史
2020/09/24
イメージ/©︎Leo Lintang・123RF
集団意識がもたらす日本社会の機能不全
かつて、日本人の「集団行動」は強みであった。戦後の高度経済成長を支えたのは、この集団の力に他ならない。しかし昨今では、その負の部分がフォーカスされることが増えてきた。
特に、コロナ禍を契機に「同調圧力」という言葉をよく目にするようになった。日本人の過度な集団意識の産物である。日本社会における「集団」のありようは、現代の日本社会で、なにがしかの機能不全を起こしているように思えてならない。
Aさんの会社は、郊外の住宅地にあった。小さいながら自社ビルで、隣には市が運営する公園がある。Aさんの机がある営業部の3階の窓からは、公園の池に浮かぶ水鳥が見え、夕方になると、学校帰りの子どもたちの遊ぶ声が聞こえてくる。のどかな職場であった。
そんなある雨の日、納品を終えてAさんが帰社すると、窓に上司と同僚が群がっている。隣の公園は、先月から改修工事とやらで、立ち入り禁止になっていて、見える物と言えば、遊具に被せてあるブルーシートのみである。Aさんはいぶかしく思ったが、仕事が山積していたため、自分の机に座ってパソコンを開いた。
しばらく窓際に集まっていた上司と同僚たちが、ぼそぼそと話しながら、席に戻り始めた時、後輩の一人がAさんのところにやってきた。
窓際に集まっていた理由は、公園の池で何か生き物が溺れているということだった。
公園は立ち入り禁止で、フェンスには鍵がかかっている。雨も降っているし、皆は諦めたほうがいいと言っている。しかし、気の毒だ、ということらしい。後輩に促されて窓の外をみると、確かに、水面には雨垂れではない、生き物が作り出す不規則な波紋が見て取れる。
「鳩だと思うんです」と後輩は言った。
そして、そのあと、「可愛そうです…。」と。
それを聞くや、Aさんは、事務所を飛び出し、フェンスを飛び越えた。背後から件の後輩が、「Aさん、まずいっすよ! 勤務時間中だし、立ち入り禁止ですよ!」という声が聞こえた。
ずぶ濡れになりながらAさんが救い出したものは、子猫であった。何をどうして池に落ちたのかは、分からないが、打ち捨てられたビニール紐に絡まって、自力では這い上がれなかったようだ。
衰弱した子猫を抱きかかえて戻ったAさんを待っていたのは、上司からの叱責と、同僚達の冷たい視線だった。
叱責の理由は、勤務時間中に勝手に外に出たことと、不法侵入のためだった。同僚たちは、余計な真似をしやがって、という体を決め込み、件の後輩は何も言わず、肩身の狭そうな顔をしていた。
別段、Aさんは職場の仲間と関係が悪かったわけではない。むしろ良好であったそうだ。だからこそ、同僚たちの冷たい態度に驚き、何より、立ち入り禁止と勤務時間中だからという理由で、助けられる可能性のある命をその場にいる全員が無視するという行為にショックを受けたそうだ。
Aさんは、「われわれは営業なんです……。不法侵入のわけを説明できないということはなかった。それでなくとも、生き物を見殺しにできるほど重要な理由ではなかったと思うのです。気の毒と思うのであればなおさら」と言い、「とにかく衝撃でした」と言った。
翌朝、Aさんの努力むなしく、Aさんのアパートで子猫は息を引き取ったそうだ。Aさんはそれからほどなくして、転職した。
「空気を読む」「折り目正しく」がもたらすひずみ
日本人はとかく、空気を読み、折り目正しく、集団行動が得意だと評されるが、一見すると「よきこと」の裏にある「闇」を感じさせる一件ではなかろうか。
ルールを守ることは正しいことである。それを破るものは悪である、という、分かりやすい構図を受け入れるのは容易である。事実を考察し、自分の責任で判断することは骨が折れるし、現在では下手をすると、訴えられかねないから、人々はルールを破る者に厳しい。特にこの発展を極めた秩序ある日本では……。
しかし現実は、善悪を二極化できるほど単純ではない。
その昔は、集団の形状を保ちながら、個人の裁量がもう少し効いていたように思う。法も律も、今よりずっとおおらかであった。
現在の日本では、かつてあった「揺らぎ」の部分が、極端に狭くなってきており、そのために、「ひずみ」が大きくなってきているように思う。
ルールを破ることを推奨しているわけではない。しかしながら、よりよい暮らしのためのルールのせいで、ストレスが増したあげく、ガス抜きをかなり上手くやらなければならなくなったのであれば、ずいぶんと皮肉なことだ。
「イイカゲン」は「良い加減」という。
集団を拒むのも、過度に集団に依存するのも「良い加減」とは言えない。二極化と思考停止は進歩を阻む。良きバランスを模索しつつ七転八倒を繰り返すのが人生というものだから、物事に拘泥せず、他者の意見は参考程度に、若者には「イイカゲン」に悩んでもらいたい。
「上善は水のごとし」と老子は言った。我々も斯くの如くありたい。
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この記事を書いた人
精神科医
1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。