住めば都というけれど……
遠山 高史
2019/11/04
イメージ/123RF
派閥抗争のとばっちり
60代半ばの男性の話である。
仮にAさんとしておく。都心のど真ん中のマンションに住んでいたのだが、紆余曲折あって引っ越すことになった。Aさんは元々、大手機械メーカーに勤めていたが、バブル崩壊後の経営悪化と派閥争いに巻き込まれ、肩を持っていたほうの役員が失脚したため、早期退職した。商品開発部の部長職だったので、退職金はそこそこ出されたが、そもそも経営状態が悪かったから、バブル時代と比較すると大幅に目減りした。
悠々自適な生活というわけにはいかず、コネを頼って、同業ではあるものの、だいぶ小さな会社の企画部長として再スタートを切ることとなった。
過去の輝かしい経験を活かして、商品開発をして欲しいと、鳴り物入りで入社したのはいいが、給料は激減した。しかも、新しい会社でAさんは孤立してしまった。当初、配属先の企画部では大歓迎を受けたが、3カ月もすると、部下の態度が変わってきて、風当たりが強くなった。
大手に勤めていた頃は、部下が何十人もいたから、Aさんの主な仕事は、提出される書類に目を通して、あれこれと修正させ、給与の査定をしたりすることだった。雑用は部下がやるので、Aさんは机に座っていればよかった。
しかし、今の会社はそうはいかない。入社する時「企画部長」なる肩書をつけてはもらったが、肩書きは実際にあってないようなもので、部長といえども掃除から荷運びまで、なんでもやらなければならない。しかし、Aさんは勝手がわからず、前職と同じように新しい部下にあれこれと頼んだので、嫌われたのだ。当然、思うように成果は出ず、会社もAさんを疎ましく思うようになった。少しずつ給料は目減りしていき、生活は厳しくなった。マンションの維持費はますます家計を圧迫した。
自慢だった都心のマンションも追われて
Aさんは都心に住んでいることを自慢にしていたし、実際、そこは誰もが羨む高級マンションだった。内部には、スポーツジムや、共同風呂が備えてあって、住民は自由に利用できる。少し歩けば、商業施設にもすぐアクセスできる。高層の部屋だったから、景観も良い。できることなら離れたくはなかったが、背に腹は代えられない所まで来てしまった。購入した時の金額からは下がるが、そこそこ良い値段で売れそうだと言われたので、都心からかなり離れた中古のマンションを購入することにした。
妻は、住み慣れた場所と友人達から離れるのを嫌がった。部屋数も少なくなるし、家具も捨てなければならない。何をするにも不便になると渋ったが、贅沢は言えない。そんな矢先に、会社から、部署移動の話が出た。製品開発で見込んでいた成果を出せていないという理由で、営業部へ移動してもらいたいということだった。引っ越しのせいで、通勤時間は今までの倍になり、不慣れな営業職へ移動、条件は悪化するばかり。Aさんは、会社を退職することにした。
それからしばらく、Aさんとは疎遠になっていたが、先日、仲間内で食事した時に、Aさんも参加していたので、近況を聞くことができた。会社を辞める時、さすがに落ち込んだが、一念発起して、タクシードライバーに転身。思いのほか接客に向いていたようで、稼ぎは以前より良くなった。最初は愚痴ばかりいっていた妻も、2キロ先のショッピングセンターに行くために自転車を買ったら、身体の調子が良くなった。何よりうれしいのは、実家住まいで結婚もしなかった一人息子が独立したことだ。引っ越しを期に一人暮らしを始め、今度彼女をつれてくるという。最初は狭いと思った空間も、夫婦二人で荷物を整理すると広いくらいになった。
趣味だった釣りを再開し、道具が増えたので、妻に嫌な顔をされるのが最近の悩みだという。Aさんは「人生はわかりませんねぇ。今の家もね、最初はとんでもない所に来ちゃったなと思ったんですがね、住めば都ってやつですよ。静かだし、狭いから掃除も楽だしね」と言ってビールを美味そうに飲んだ。
確かに人生はわからない。住めば都。人生塞翁が馬だ。
この記事を書いた人
精神科医
1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。