「税リーグ」と不思議な町おこし
2025/06/26

「J」を「税」にもじっての「税リーグ」
ここ1年ほど、われわれの身近にあって、もっとも話題に挙がったニュースといえば、やはり米の価格高騰だろうか。昨年の夏以降、国民の一般的な生活におけるおそらく最大のストレス源になっている。
筆者も、一消費者としてこれにはいささか閉口している。現在、政府備蓄米の放出によって、問題の出口がやっと見えてきたかという辺りに差し掛かってはいるが、この間、各家計においては疲労がかなり蓄積したはずだ。
顕著な影響として、少子化のギアがまた一段と上がるのではないか。なにぶんにもわれわれは生き物なのだ。主食たるものを獲得するうえでの障害に接した以上、繁殖の抑制は単純に生物としての本能に適うといっていい。
一方、今回の“米騒動”の始まりと似た時期から、一部世間を賑わしているものに「税リーグ問題」がある。舞台は主にネット上だ。実際には十数年以上前から存在したともされる議論だが、あるシンクタンクが、昨年8月にこれを採り上げたまとまりのよいレポートを公表した(「ANA総合研究所―――Jリーグは誰のものか」)。以来、こちらもギアが一段上がったかたちとなっている。
もっとも、このことを知らない人も世間には多いだろう。なぜなら、税リーグ問題は、一見する限りは、地域、地域におけるローカルな課題に属するものだ。そのためか、ネットでの“炎上”に対し、全国区のいわゆるオールドメディアなど、概して静観の構えをとっているように見える。
対して、ネットではさかんに意見が交わされている。煽情的な発信ももちろんあるが、データとファクトに沿った冷静なものも少なくない。この議論におけるある意味での特徴―――特長ともいえるだろう。
渦中にあるのは、サッカーのJリーグとなる。
「J」を「税」にもじっての「税リーグ」だ。
チーム(クラブ)数60を擁するまでに成長した日本のプロサッカーが、各地で地元の公金―――すなわち税金を無碍に蚕食していると伝えられている。
必然としての「親会社頼み」
税リーグ問題の根幹にあるものとは何か。次の2つとなるようだ。
- 営利事業としての自立が難しいプロサッカークラブの経営
- クラブに対し、Jリーグが求めるハイコストで公共性に欠けるスタジアム
このうち、まず1だ。主たる原因ははっきりしている。興行数の少なさだ。
サッカーは競技としての性質上、プロ野球のようにわずかな休みを挟んで3連戦、6連戦といったスケジュールが組めない。基本として週に1試合となる。
そのため、Jリーグにあっては、1クラブがホームスタジアムで主催できるゲームといえば、現在リーグ戦で年間19試合、そこにカップ戦等を加えて20試合を少し超える程度となる。
事業の中心たる興行による収益機会がこれでは少なすぎる。レギュラーシーズン年間70試合余りを主催できるプロ野球に比べると、その差は歴然としている。
そのうえで、こうした興行数の限界が動かしがたい足かせとなって、Jリーグクラブは、財政面で「親会社頼み」などと言われる苦境に立たされやすい。
もちろん、各クラブともに、物販や、親会社以外からの広告収入の確保等に尽力はしている。とはいえ、構造上の必然として、自立性に乏しい経営を強いられがちとなる。
なお、Jリーグは、近年人気を失っているとよく揶揄される。だが、主な数字は逆を示している。昨年の平均入場者数は、J1、J2、J3リーグ、それぞれ一昨年比7%、11%、12%のプラスとなった。
結果、他の試合も含めた年間の公式試合総入場者数は過去最高の1254万265人を記録している(それ以前に過去最高だった19年比で113.6%)。
13度行われた大バコ・国立競技場でのリーグ戦の平均入場者数も、1試合5万人を超えている。
もちろん、サッカーに関心のある人と、ない人とのコントラストは誰もが感じるとおり明瞭だ。だが、その点はいまや野球も含め、どのプロスポーツも似た状況にある。よって、Jリーグの人気は下がってきているとはいい難い。むしろ地道に上げて来ている可能性もある。
なお、筆者は、サッカー、野球、バスケットボール、ラグビー、どれも好きで、いずれにも贔屓のチームがある。贔屓の選手もいる。出費に悩みつつも、機会をつかまえてはスタジアム等で観戦したり、動画を視聴したりする。
「おねだり」せざるをえない
次に、2となる。
述べたとおり、経営するにあたって構造上苦しい条件におかれやすいJリーグクラブにあっては、その活動の舞台となるスタジアムの建設や維持が、さらなる悩みの種となる。
費用のかさむこれらについては、クラブ自体はもちろん、親会社やスポンサーも多くが負担しきれない。いきおい各クラブは、それを少なからず市や県など地元自治体に頼ることになる。ひらたく言おう。「おねだり」せざるをえなくなるわけだ。
ところが、ここに問題が立ちはだかる。クラブは、強くなればなるほど―――参加するリーグのレベルが上がるほど―――大きくて、贅沢なホームスタジアムを確保しなければならないのだ。
このうち、もっともよく知られる要件が、「入場可能数の下限」「観客席における一定の広さ以上の屋根の設置義務」「ピッチの天然芝敷設義務」となる。(天然芝については緩和要件があるが範囲はごく狭い)
それぞれ、数字等の詳細は省くが、これらを満たさなければ、クラブはJ1、J2といった、Jリーグの各リーグに参加するライセンスをもらえない。
そこで、クラブは、ファンの声や地元財界の協力等、さまざまなサポートを必死にかき集め、議会や行政を動かそうとする。そのうえで、基準に適う「贅沢な」スタジアムの使用権を確保しようとする。
つい先日のYBC山形放送による報道だ。(放送内容から抜粋・一部補足、要約)
「吉村知事は6月17日、モンテディオ山形の新サッカースタジアムについて、建設費の一部を国の補助金や、県と天童市の負担でまかなう方針を示した」
「建設費はおよそ158億円で、そのうち6割は民間企業からの出資や寄付で確保できる見込み」
「県と天童市は、地方経済の創生を支援する国の補助金を共同で申請する予定」
「国の補助金と同じ金額を県と天童市がそれぞれ負担し、新スタジアムの建設費に充てる方針」
上記において、国に申請される補助金額は、伝えられているところでは天童市が7.5億円、山形県が最大で15億円(現状未定)となっている。
かつ、「同じ金額を県と市がそれぞれ負担」ということで、合計最大45億円となる。
すると、どうだろう。
「それだけの公金を注ぎ込むだけの公共性をサッカースタジアムが有しているのか」
との議論は、当然持ち上がることになるわけだ。
(モンテディオ山形が予定するものよりも倍近い規模の「エディオンピースウイング広島」――昨年開業――だと、国、県、市合わせての負担は約181億円。そのうち国の分は約101億円となっている)
そのうえで、資金の出どころが市や県に留まらず、上記山形などのように国にも及ぶ場合、問題は理論上、国民全体の案件へと広がる。
「地域で好きに決めることだから」が、通用しにくくなるわけだ。
以上が、税リーグ問題だ。
加えて、建設される(あるいは改修し再生される)スタジアムが球技専用となれば、陸上競技はそこから締め出される。サッカー専用となれば、公共性はさらに失われる。公金を費やすべき理由が狭まっていく。
なおかつ、ピッチに敷かれるのは前述のとおり天然芝だ。多大な管理費用を要するのみならず、芝生の養生期間中は長期にわたって使用できなくなる。Bリーグ(プロバスケットボール)クラブが、市民等が使う合間に挟まるかたちで体育館を借りるのとは、まるでわけが違ってくることになる。
公金による公共のためだったはずの施設が、あたかも当該サッカークラブ専用の「禁足地」と化すわけだ。
よって、こうした現実をクラブはなるべく世間に気取られないようふるまいながら、スタジアム建設の機運を醸成していく必要がある。
しかしながら、税の使い道に敏感な人々がそれに気付いたり、あるいは行政や議会、首長が、建設業界などへの忖度なく現実を直視してしまったりすると、以降は厳しいことになる。
「サッカー観戦は一部の人の趣味。ほかに税金の使いどころがいくつもあるではないか」
と、いうことになるわけだ。
その点、先ほどの山形の場合は、客観する限りスムースに事が運んでいるらしい。知事の議会答弁を抜粋する。
「新スタジアム整備により、新たなにぎわいが創出され、若者の県内定着や交流人口の拡大にも寄与すると考えられることから、モンテディオ山形の資金確保に協力することを考えている」
一方、そうはいかない地域もある。それが、とりわけネット上での議論を呼んでいる。
Jリーグという不思議な町おこし
古い話をしたい。
華々しかったJリーグの発足時、筆者は埼玉県の浦和市に住んでいた。この街は、いまはさいたま市の一部になっている。
ちなみに、浦和といえば全国にその名を知らない人は少ない。どころか、昨今は海外にまでURAWAの5文字が鳴り響いている。
これは、ひとえにサッカーのおかげだ。
Jリーグと同時に生まれたプロサッカークラブ「浦和レッドダイヤモンズ」がなければ、この街は、おそらくいまのようなアイデンティティを持ちえていない。首都圏の「住みたい街」上位に挙がるようなブランドも、決して持つことはできなかった。
浦和レッドダイヤモンズ―――レッズは、当初、強豪クラブの選手たちにまるで遊ばれているかのような試合をされる、情けないほどに弱いチームだった。
それが、段々まともになるとともに、クラブの人気は上がっていった。同時に浦和の街も有名になっていった。
その恩恵には筆者も大いに浴した。自分の暮らす街の紹介に困らなくなった。しまいには、「日本一の人気を誇るサッカークラブの街」―――と、ひとに自慢するほどにもなった。
加えて、国内最大のサッカー専用スタジアムまでがこの街に建ち上がった。「埼玉スタジアム2〇〇2」だ。
ワールドカップの開催に合わせたものだが、これが実現した背景には、当然ながら集客力を増したレッズの存在がある。
つまり、この間、旧浦和市民のQOL(quality of life)は、主にメンタル面において着実に上がっている。
QOL(健康状態に限らない広い概念の方)は、GDPのように明確には数値化できない。だが、国やコミュニティがその向上を目指すべきものとして、おそらくもっとも重要なひとつとなる。
なお、浦和ほどでなくとも、近い例としては、茨城県の鹿嶋市、千葉県の柏市、静岡県の磐田市、佐賀県の鳥栖市などを挙げてよいのではないか。これらの町の名をJリーグクラブなくして、いまどれだけの人が知り得ているだろう。
ところで、筆者が思うに、Jリーグには概して宗教と似たところがある。
まず、教祖がいて、教義がある。
教祖はカリスマ的な人で、お約束どおり受難にも耐えた。
川淵三郎初代チェアマンのことだ。
Jリーグの崇高な教義(理念)のもと、スポーツと地域の密着を教理のひとつに掲げ、初期には古い権力からの弾圧を受け、これを見事に退けている。
ちなみに、筆者の思い出として、過去に生で聴いた著名人の話の中では、この川淵教主の説法(講演)がいまのところ面白さで一番だ。
Jリーグの組織は中央集権的で、さらには階級主義的だ。
J1、J2、J3と、位階が厳格に整備され、最高機関たる理事会が強力な権限をもってこれらの叙階をコントロールする。
地域の教団組織(クラブ)は、受け持つ教区ごとに神殿(スタジアム)を整備しなければならない。しかも、それらについては、位階ごとに信者ら(観客・ファン・サポーター)の収容規模が決められている。
神殿の建設費用は、信者による寄付のほか、富裕商人(親会社・スポンサー)や領主(自治体)の寄進に多くが頼られる。
そのためには、教団はJリーグの教義、教理、教条を彼らに適宜流布し、深い信仰を勝ち取らねばならない。
「新スタジアム整備により、新たなにぎわいが創出され、若者の県内定着や交流人口の拡大にも寄与する」と、言わせなければならないわけだ。
なお、信者の中には、教線拡大に熱心なあまり過激な行動に出る者もいる。祭礼(試合)の場で信者でない人を見つけ、強引に勧誘したり(応援の強要)、他の教区の信者とトラブルを起こし、喧嘩したりする。
そうした、一部勇み足の徒が、ときおり組織上層部を悩ませるところなどもいかにも宗教的だ。
「Jリーグ百年構想」というのもある。
「スポーツで、もっと、幸せな国へ」と、謳われている。
Jリーグの福音に接することで、何か輝かしい来世がわれわれに近づくということのようだ。
よって、あくまで筆者個人の感想としていうと、現状の税リーグ問題に関しても、これにはどこか宗教にまつわる社会的な事象と似たところがあるように感じている。
税リーグ問題を責める人は数字と現実論で攻めるが、これを嫌がる人は議論のテーブル自体にあまり近づかない。
なぜなら、彼らは逃げているのではない。それを俗事と感じている。
何となれば、議論をふっかけてくる相手といえば、彼らにとっては未だ真理へ続く道を知らない凡夫ばかりだ。口を開けば出て来るのは金勘定についてだけ。ステージの低い濁世にさまよう迷える子羊にすぎないからだ。
「野球はショービジネス。サッカーは最終的に文化になっていく」
かつて、そのようにおっしゃった人がいる。この人は、現在Jリーグの組織においてはもっとも位階の高いところにいる。
さらに、この方は、「野球のファンとサッカーのコアサポーターは質が違う」旨も述べている。
「コアサポーターは生活の一部としてサッカーを観に行く。野球ファンとは勝ったときの喜びの度合いも違う」とも論じている。
筆者の感想を重ねて言おう。
この人は、野球と、そのファンを決してクサすつもりなのではない。
彼は、Jリーグサッカーという教えの偉大さ、さらには、信者が祭儀と礼拝へ参集することの価値をあくまで司牧者として、信者を相手に語っている。
これらのありがたい言葉は、教えに人生をまるごと投じるほどの熱心な人々にとって、まことに救済と愉悦の光にあふれた次元の高い導きにほかならない。
なので、阪神・ロッテファンは、一旦落ち着こう。(上記は発言者が今よりもやや若かった頃の発言でもある)
以上。かなりふざけた私論を述べた。
ともあれ、繰り返すが、街が次第に紅く(レッズ色)染まっていったあの当時の浦和に暮らしていた筆者にあっては、どこか幻惑的で、ある意味理想的かもしれない町おこしを目にした印象がいまも強い。
レッズはその旗に無名の街の名を掲げてくれた。一方で、哀れなほどに弱いという意味での強烈な負圧も持っていた。
よって、これを救うべく、バブルのはじけた街角で彷徨していた若者、若者が、吸い寄せられるように馳せ参じた。そこに自らが存在する意義も得た。
あれは実に不思議な町おこしだった。なおかつ、成功もしている。
セル爺、語る
有名なサッカー解説者で、セルジオ越後さんという人がいる。
この人が、少し前に、あるサイトでインタビューに答えていた。(「双葉社―――THE CHANGE」)
一部を要約して掲げたい。
「いまのJリーグでは、多くのスタジアムで、行政に援助してもらうことが前提になっている。それではアマチュアだ」
「サッカーに興味のない人たちから見れば、税金のむだ使いと思われてしまうかもしれない」
「人口が少ない地域ならば、2,000人しか収容しないスタジアムでもいいから、面白くて魅力的なスタジアムのアイディアを真剣に考えるべきだ」
税リーグ問題への単純な答えのひとつだろう。
加えて、屋根をつくるお金がないならば付けない。天然芝を敷けないなら人工芝で可とする。
それをJ2クラブであろうとJ1クラブであろうと規定上許してやれば、クラブは、強くなるのと引き換えに誰かの財布を探してストレイ・シープになり果てる苦しみから、かなりの割合で解放されるはずだ。
ただ、一方で、サッカーの世界にあってはさまざまな国際基準もある。スタジアムについても、悩ましいことにそれが国の外側から覆い被さってくる。
とはいえ、たしか2年前のこと。ヴァンフォーレ甲府が座席仕様の不都合によりこれを満たさないまま、AFC(アジアサッカー連盟)のクラブライセンスを承認された例がなかったか。
国立競技場をホームスタジアムとする便宜が図られたものと記憶しているが、こういうことは現在も可能なのか。
ともあれ、このように、人口減少の進む国内の地域、地域の現実と、世界レベルの基準とのすりあわせ等々、一クラブの努力においては手に余る仕事に関してこそ、ますます力を尽くすことを筆者はJリーグに期待したいと思っている。
宝石のような埼玉スタジアムの天然芝
以下、Jリーグ組織における内々の業務についてはもちろん知らない立場での話となる。
筆者は、以前、埼玉スタジアム2〇〇2のピッチサイドに降りたことがある。タッチライン近くまで寄ってみた。目の前のピッチに湖面のごとく広がる、輝く天然芝にいたく感動させられた。
触れることはもちろん禁じられていたが、いい大人がついそれを忘れた。
思わず手を伸ばしてしまった。その美しさは「宝石のような」という表現を冠するにふさわしいほどのものだった。
もっとも、この壮観を維持するための努力にあっては、当然ただごとでは済まない。ここの場合、負担は県だ。多大な費用、手間、時間が投じられている。
一方、筆者は、所沢市にある野球場の「ベルーナドーム」でも、たまに外野グラウンドを歩いたり、寝転がったりする。
飛び跳ねたり、数歩軽く駆けたりもする。西武ライオンズの試合後、球場側がここを開放してくれるからだ。実に楽しい。
そして、こちらでも大いに感動する。
現代の技術が尽くされた人工芝の精巧なつくりに対してだ。パイルの奥に指を突っ込ませてもらい、充填材(?)の感触を確かめたりもする。
現在のベルーナドームの人工芝は、2年前に敷かれている。まだ新しい。日本のミズノ社製だ。
とはいえ、この芝は、美しさでは宝石のような埼玉スタジアム2〇〇2の天然芝には数歩及ばない。
が、よく言われるアスリートの健康への悪影響が必要な程度払拭されているのならば、こういうものが埼玉スタジアムや、大宮のNACK5スタジアムに敷かれていても、筆者としては「もって瞑すべし」だ。
よって、そうした可能性についての模索も、Jリーグは、日本におけるプロサッカーの発展と継続のために、きっと進めてくれているものと信じている。
Jリーグにおけるスポーツ・ターフ(芝生)の研究は、最初のリーグ戦開幕後ほどなく始まっている。94年に研究会が発足している。以降、その成果は内外から高く評価されている。
次には、サッカー向け高品質人工芝における世界の起点に、わがJリーグこそがなってほしい。
(文/朝倉継道)
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この記事を書いた人
コミュニティみらい研究所 代表
小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。