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貧乏と貧困は別のもの 賃貸住宅を「貧困」の巣にしてはならない(1/2ページ)

朝倉 継道朝倉 継道

2022/01/21

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イメージ/©︎eranicle・123RF

賃貸住宅は貧乏な人の寝床であっていい

「貧乏」と「貧困」は別のものだ。賃貸住宅は貧乏な人の寝床であってもいい。だが、貧困の巣にしてはならない。

貧乏という言葉は、字にすると「貧しく」「乏しい」と書く。具体的には、持っているお金や財産がほかの人よりも少なく、欲しいモノやサービスが思うがまま手に入れられない状態のことを指す。そこで、注意したいポイントがある。貧乏という言葉は、あくまで上記のような“状態”を指すものだ。そのことによる結果までをも定義していない。

なので、

「私は貧乏だが(=状態)よい家庭に恵まれ幸せだ(=結果)」

は、言葉としても論理としても成り立つ。

「あの時代はみんな貧乏だった(=状態)しかし、いい時代だった(=結果)」

こちらも同様に成り立つことになる。

一方、貧困はそうではない。こちらは貧しいことの結果までをも含めて定義する言葉だ。結果とはつまり「困」の字の部分だ。「困っている」ということになる。

【参考記事】生活保護はほとんどの人が受けている 間違えたくない文明社会での「人を別ける」線引き

すなわち、貧乏においては幸福もそのなかに含まれうるが、貧困であることにおいて幸福はそのなかには含まれない。なぜなら、その貧しい人は不幸にも「困っている」からだ。貧しさのため「生活するのに」「学ぶのに」困っているというのが貧困の意味するところであり、今日という1日を「生きる」困難を抱えているというのが、貧困という言葉の表すところとなる。

よって、貧乏の結果は一様ではないが、貧困は結果として一様となる。それは、貧困に陥った本人および関係する他者の“不幸”のみに、ほぼ結びついていく。そこで、賃貸住宅にあっては、これら他者には、ほかの入居者や、賃貸住宅オーナーも含まれうる。ご近所の方も同様となる。要は、コミュニティが広範囲に傷を負うことが起こりうる(例として、自殺事故物件の発生)。

賃貸住宅は貧乏な人の寝床であってもいいが、決して貧困=不幸の巣にしてはならないのだ。

【参考記事】共用部分のタバコの投げ捨ては「割れ窓」と同じ? 犯罪機会論で賃貸経営を斬る

鍵となる「孤立」

では、この貧乏と貧困とを分ける隔たりの原因とはなんだろうか? 答えは非常に簡単だ。「孤立」にほかならない。孤立した立場においての貧乏は、ちょっとしたきっかけで貧困化しやすい。一方、孤立していない貧乏は、とりあえず貧乏のままでいることができる。

その理由は、こちらも簡単だ。貧乏であっても孤立していない人は、共助や、的確な助言や、温かな励ましにすがれるからだ(いわゆる昭和下町的な貧乏がこれにあたる)。

なお、孤立は個人のみに生じるものではない。家族単位でもありふれて発生する。古くは村や地域といったもっと大きな単位でもそれが起こったが、現在は、ほぼ個人か少人数の家族がさまざまな理由で孤立の闇に滑り落ちる。その際、彼らが貧乏という足かせをひきずっていると、彼らは闇から這い上がることができなくなる。すなわち、貧困がそこに生まれることになる。

よって、貧困を生じさせないためのカギは孤立だ。孤立しないことであり、させないことだ。

家賃を下げられない物件

5~6年も前のこと。ある仲介会社より、入居者募集中の物件を見てくれないかと頼まれたことがある。仮にAアパートと呼ぼう。少し前に空室が出たが、なかなか問い合せが入らず、入居が決まらないので、どこかに手を入れたい(リフォームか設備交換)とのことだった。

Aアパートは、首都圏郊外に建つ2DKばかりが並んだカップル・ファミリー向けのアパートだ。駅からは遠く、アクセスにはバス利用を強いられる。そのうえで、Aアパートには駐車場がない。この点、かなり手痛いハンディをもつ物件といえた。

そこで、事前に資料を見せてもらいつつ、ひとつ疑問が生じた。Aアパートは家賃が高いのだ。

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この記事を書いた人

コミュニティみらい研究所 代表

小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。

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