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【インタビュー】「父親の存在を尊重できたのは友人からのたったひとつのアドバイスだった」(1/3ページ)

しばはし聡子しばはし聡子

2019/07/25

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イメージ/123RF

さまざまなカタチで離婚後も両親で子育てを行っているママの実体験を記事化したシリーズ。今回は、娘さんの反抗期を機に共同養育の大切さに気づいたというママを直撃インタビューしました。

■離婚後お子さんと父親が会うことについてどのように思っていましたか。

離婚したのは娘たちが小学校高学年の頃。協議離婚で面会交流も養育費もなにも取り決めもせずに離婚しました。その頃は面会交流をやらなくてはいけないという認識もなく、会わせたいと思っていなかったのが正直なところです。

当時、娘たちに携帯を持たせていたのですが、娘たちは私に気を使ってか、こっそり父親に連絡をして会っていました。会っていることも娘たちが父親を大好きだったのもわかっていました。

日々の育児で大変なことは私が全部やっているのに、いいところ取りされているようでおもしろくなく、私から「パパと会っておいで」とは一言も言うことはありませんでした。

「パパと会うときはママに言ってね」と娘たちに伝えるものの、いざ娘たちが「パパと会う」と言うと、私も大人気なく機嫌が悪くなり、結局娘たちは言わなくなるという悪循環の繰り返しでしたね。

こんな気持ちが昨年まで8年近く続いていたのですが、実は共同養育が大事だと思えた大きな転機があったのです。

■共同養育に前向きになれた経緯を聞かせてください。

昨年末、次女が高校通学を1週間ボイコットし、さらには家出をするといった出来事がありました。次女の反抗期が始まったのですよね。長女が独立し家を出た後のことでした。

長女に連絡し慌てて探したけれどどこにもおらず、朝になっても連絡がありませんでした。心配でたまらなかった私を横目に、長女はなぜか焦っていない様子。

実はその間、次女は父親に連絡をして助けを求めていて、そのことを長女も知っていたのです。次女が私には絶対に言わないでほしいと言っていたようで長女も隠していたんですよね。知らなかったのは私だけ。元夫からも連絡があり事なきを得たのですが、その時に気づいたんです。次女は、ずっと父親を慕っていてずっと頼りたいと思っていたのだと。

元夫は再婚していたため、娘たちは連絡することを遠慮していた様子があったので、今回を機に、私から元夫へ「娘たちがいつでも頼れるようにいつでも連絡させてほしい」とお願いしました。元夫は快諾してくれました。

離婚して8年目、元夫を頼ったりお願い事をしたのは初めてのこと。ずっと向き合ってこなかった元夫と向き合えて乗り越えた感覚を覚えました。以前の後ろ向きだった頃よりも今の方がはるかに気持ちが楽になりました。

母娘で話すと折り合いがつかないことも多く、どのように育てていったらいいのか暗中模索だったなか、娘たちの心の拠り所ができたことで私自身の肩の荷もおりましたね。

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この記事を書いた人

一般社団法人りむすび 共同養育コンサルタント

1974年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。自身の子連れ離婚経験を生かし当事者支援として「一般社団法人りむすび」を設立。「離婚しても親はふたり」共同養育普及に向けて離婚相談・面会交流支援やコミュニティ運営および講演・執筆活動中。 *りむすび公式サイト:http://www.rimusubi.com/ *別居パパママ相互理解のオンラインサロン「りむすびコミュニティ」 http://www.rimusubi.com/community *著書「離婚の新常識! 別れてもふたりで子育て 知っておきたい共同養育のコツ」️

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