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「道路族」の騒音に現代人が深く悩む理由は、日本人みんなが賢くなったから?(2/2ページ)

朝倉 継道朝倉 継道

2021/10/23

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頭がよいから人は悩む?

頭が悪いということは、要は、行動が反射的であるということだ。逆に、頭がよいということは、行動や考えが落ち着いていて論理的であることを意味する。

昔、われわれをつかまえ、「うるさい」「コラーッ」と叱っていた近所のおじさん、おばさんは、おそらくはいまの大人であるわれわれよりもずっと頭が悪かった。なので、子どもが家の前で騒げば、ガラガラッ!と窓を開け、大声で一喝し、子どもが驚いて立ち去ると、それですべてが完結した。

生じたストレスに対し、彼ら・彼女らは、それを解消するのに十分な「反射」をそこで成し終えたのだ。すなわち、言ってみれば、それは犬が見知らぬ人が近づくのを見て吠え、相手の姿が見えなくなればたちまちそれを忘れ、平常を取り戻すようなものだ。

犬のように純朴で単純だった当時の怖いおじさん、おばさんたちは、一旦反射を終えれば、怒りをスッキリと忘れ、怒りの原因をも忘れてしまう。同様に、子どもたちも、子どもたちらしく、数時間も経てば叱られたことなどこちらもサッパリと忘れてしまう。そのため、同じイベントの繰り返しが、その後も飽くことなく続けられるかたちとなるわけだ。

ところが、頭のよい現代人のわれわれとなると、こうはいかない。

「今日、子どもが長時間家の前で騒いだ」
「ならば明日も騒ぐかもしれない。来週も騒ぐかもしれない」

「子どもたちはいまにボール遊びも始めるかもしれない」
「庭に入ってくるかもしれず、車が傷付けられるかもしれない」

「注意すれば子どもは親に訴えるかもしれない」
「親も常識のない人間かもしれない」

「恨まれるかもしれない」
「反撃してくるかもしれない」

「家庭同士のトラブルになるかもしれない」
「どうしよう。地獄だ」

論理による暗い予測が次々と脳裏に生じ、心がむしばまれていく。これはとりもなおさず、われわれの頭がよいため、論理的であるためだ。また、論理は逆にアグレッシブな方向にも作用する。

「子どもの管理責任は親にある」
「ならば、敵は騒ぐ子どもの親だ。軽蔑すべきはあの親たちだ」
「彼らに相応の視線を向けてやろう。相応の態度で接してやろう」

至極単純な帰結に思えるが、おそらく昔の人はなかなかこのようには頭が回らなかった。つまり、これこそが、目の前の子どもは叱りつけるが、その親とは何のわだかまりもなく仲良くできてしまうという“離れワザ”が彼らに可能だったゆえんだ。

無論、「親の顔が見たい」といった感覚は昔も存在した。しかしながら、それが大人の口をついて出てくるような事例といえば、私の知るかぎりかなりの重大事に限られた。例えば、子どもが盗みを働き、警察沙汰になったといったレベルにおいての感覚がそれにあたる。

 

論理に震え上がった子どもたち

そうしたわけで、道路族のような事例に対し、現代人であるわれわれが深く悩まされるもっとも大きな理由として、私は、われわれの頭がよくなったこと、すなわち「賢くなった」ことをつよく指摘したいと思っている。なので、これは社会の前進において、もはや不可逆的なことだ。よって道路族に悩む人に対し、「いまの人はメンタルが弱い。鍛えろ」という人がいるが、それはかなりの無理を要求している。

現代人は40~50年も前の人々に比べ、いわば進化したからこそ、より理知的かつ理性的な深みをもって、悩まされてもいるわけだ。なお、残りの理由として大きいのは、コミュニティの喪失だろう。よくいわれる「仲のよい知り合いの声や出す音は気にならない」だ。

ただし、現代に生活するわれわれにあっては、この関係が成立しない環境におかれる可能性が、どこに住むにおいてもつねに高い。その点もまた、こんにちの不幸であり、かつ生きるうえでの厳しさだ。

印象深い思い出がある。

私が8~9歳のころ、友人たちとともに、いつも勝手に野球場にしていた駐車場での話だ。当時の国鉄の敷地内にあった。その場所で、タイミング悪く、そばの建物の事務所に管理人が詰めている時間帯、野球をすると、いつも「ほかへ行け」と追い立てられた。そうしたモグラ叩きが1年以上、数十回と繰り返されたのち、ある日、新顔のスタッフが現れた。

その人曰く、「この建物では、実は昼間、夜勤の鉄道運転士が寝ている。ぐっすり眠らせてやらないと汽車が事故を起こす。君たちはそれをどう思う?」

さらに、優しい口調ながら「学校はどこ?」

われわれはまさに慄然として、その日以来、そこでの野球をやめたものだった。

「重大な事故につながる可能性のある行為」
「それを学校に通報されるリスクと予測される不利益」

賢い大人が突き付けてきた2つの論理に、賢い世代のわれわれはあえなく震え上がったということになる。 

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この記事を書いた人

コミュニティみらい研究所 代表

小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。

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