小説に学ぶ相続争い『女系家族』③――分割しにくい不動産を含めた「共同相続財産」の遺し方(2/3ページ)
谷口 亨
2021/09/18
財産の管理や処分を共同にするということは、その財産を分けるにしても、処分するにしても、全員の同意を得なければ進めることはできません。非常に面倒なのです。
しかも、嘉蔵さんが共同相続財産としたもののなかには、土地や建物、かなりの規模の山林まであるのです。
大番頭の宇一さんが次のようにまとめています。
<一、不動産
イ土地・建物
大阪市東区南本町二丁目二百五十四番地所在、矢島商店の中の間を境とする奥内の土地百六十坪、二階建家屋九十七坪分
大阪府北河内郡八尾所在の農地五反歩
ロ山林
三重県熊野 四十町歩
奈良県吉野 五町歩
三重県大杉谷 百二十町歩
京都府丹波 十町歩>
では、なぜ嘉蔵さんは、これらの遺産分割を相続人に丸投げしてしまったのでしょうか。
その理由のひとつに、やはり戦前と戦後の人々の考え方や文化の違い、そして旧民法から新民法へと変わったことが挙げられると思います。
嘉蔵さんが亡くなったのは、昭和34年です。嘉三さんが共同相続とした財産は、これまではおそらく総領娘が受け継いできていたのでではないかと想像できます。旧民法での相続では問題がなかったと言えます。
しかし、新民法では、子どもたちに平等に財産を遺さなければならなくなりました。とはいえ、代々、共同財産として受け継がれてきた膨大な土地や山を平等に分割することに対して、正直、嘉蔵さんは“お手上げ”状態だったのかもしれません。
“制度”がいい方向に変わったとしても、これまでの慣習やしきたり、価値観、それらに伴う気持ちなど、“人”までもすぐに変えられるわけではありません。
そう考えると、嘉蔵さんの気持ちも分からなくはない、としておきましょう。
この記事を書いた人
弁護士
一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。