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厳しい教義と思われがちな宗教にとっての「性」その実態は?(3/4ページ)

正木 晃正木 晃

2021/09/18

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ちなみに、宗性は74歳という、当時としては大変な高齢に達しても、力命丸という愛童をかかえていたことが分かっている。

宗性は酒もよくたしなんだようだ。それも過度の飲酒癖があったらしく、禁酒の誓いも立てている。「12歳の夏に初めて酒を飲んで以来、41歳の今日まで、酒を大量に飲み、飲んでは酔って狂乱したが、今日を限りに断酒する」と誓っている。

この誓いによれば、飲酒そのものが悪にほかならないという認識にもとづいて、断酒すると述べている。同性愛を論じるときの、悪いのはあくまで多数の相手をつくることであって、同性愛そのものは悪ではないという認識に比べると違いは明らかだ。

ちなみに、断酒の誓いも、同性愛の相手を限定するという誓いと同じく、宗性は守れなかったらしい。この後も、酒を飲みつづけた証拠が残っている。

さらに、囲碁や将棋、もしくは双六を使った賭博に夢中になっていたことも判明している。

なぜ中世日本の仏教界は同性愛を許容したのか?

なぜ、「性」に対して厳しかったにもかかわらず同性愛はゆるかったのか。

その答えを追っていくと、東大寺、興福寺、仁和寺、延暦寺といった巨大寺院に、鎮護国家を職務として奉職していた官僧たちの間では、同性愛は、悪どころかむしろ実質的に公認されていた事実が浮かび上がってくる。しかも、高級な「文化」として奨励されていた形跡すら見出せる。

彼らに言わせれば、同性愛は絶対に必要にして欠くべからざる要素だった。なぜなら、同性愛がなければ、欲望のはけ口がなく、セックスのことばかりが気になって、ひたすら悶々。悟りを求めるどころではなくなってしまうから、職務をまっとうできない。ゆえに、「同穴のむつみ」は不可欠なのだそうである。したがって、立派な寺には、いい稚児を置いておくべきだという結論になる。

おい、おい、それが僧侶の言うことか!と思わず叫びたくなるが、これは歴然たる事実にほかならない。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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