小説に学ぶ相続争い『女系家族』①――相続争いがはじまる根本的な原因はどこにあるのか(3/3ページ)
谷口 亨
2021/07/12
婿養子の父親を蔑む「総領娘」
さらに、代々番頭という、いわば使用人を婿養子として入れているため、娘たちは父親を少々軽く見ているということも、もうひとつの問題点といえるでしょう。
父親の嘉蔵さんも婿養子なため、母親の松子さんに常に遠慮がちだったと思われます。そういったこともあり、娘たちはお父さんのことを軽く見がちでした。とくに長女の藤代さんは父親を蔑んでさえいます。
それがよく分かるのが次のような場面です。
死の床で嘉蔵さんは自分の葬儀を派手にしてくれと藤代さんに頼みます。そして、その葬儀が亡き妻のそれよりも盛大だったというシーンでは、
〈四代続いた船場の木綿問屋、矢島家の主にしては、とりわけて云い遺す必要のない言葉であったが、それだけに三十四年間、養子旦那の立場を忍んで来た父の最期の思いが、せめて母よりも盛大な葬儀ということにあったのかと思うと、藤代は、父の執念の浅さが憐れまれた〉
さらに、嘉蔵さんが亡くなった日も、
〈肝臓で長く臥っている父が二、三日前から急に激しい弱り方をみせていたのに、せっかく取りにくい切符を取ったのだからと、父の看病を女中と付添婦に任せて、姉妹三人で京都の南座へ芝居見物に出かけ、二幕目の終りに、家から知らせて来た電話で、父の急変を知って、慌てて車で馳せ帰ったのだった〉
はたまた、嘉蔵さんの遺言状を聞き終えた藤代は、
〈亡くなりはったお父さんの陰険さと狡猾さが見えるようだす──〉
といった具合なのです。
財産を平等に分配したはずの遺言状
では、嘉蔵さんが遺した遺言状を見ていきましょう。嘉蔵さんは、「昭和34年1月末日」で遺言状を作成しています。
〈私議、病い重くなるに及び、万一のことを慮り、矢島家の代々所持する家屋敷並びに商い方、有金、家財諸式、その他、残らず勘定して、遺産の仕分けを致したく、次の如く相したため候〉
婿養子として最期の務めを丁寧にしっかりと果たそうとしているように受け取れます。
続く遺産の分配内容が次の通りです。
〈一、遺産のうち、矢島商店として使用中の土地建物及び、商品並びに暖簾営業権は分割することなく次女千寿が相続し、養子婿良吉は二代目から商い名としている矢島嘉蔵を襲名し、商いに従うこと。但し、月々の純益の五割分は、長女藤代、次女千寿、三女雛子の間で三等分にして所有し、中の間を境にして奥内の土地建物は、同上三人の共同相続財産にして、三人合議の上で適宜に処分されたし。
二、大阪市西区北堀江六丁目所在の貸家二十軒及び、都島区東野田町所在の貸家三十軒の建物と土地は長女藤代が相続すること。したがって貸家の売却もしくは賃貸など一切藤代の自由なるべし。
三、株券六万五千株及び、道具蔵に所蔵する当家の骨董類は、三女雛子が相続すること。したがって、株券及び骨董の現金化は当人の勝手たるべし〉
つまり、長女の藤代さんは不動産、次女の千寿さんは店の経営権、三女の雛子さんは株券と骨董品を相続させるということです。
私としては、嘉蔵さんはなかなか平等に分配できているのではないかと思います。戦前の旧民法であれば、家業を継いでいる次女に「すべての財産を相続する」という遺言も成り立ったと思いますが、新しい時代の民法では子どもたちに平等に財産を分配しなければなりません。その点、新しい時代に沿った遺言を遺しているといえるでしょう。
しかし、藤代さんが〈お父さんの遺言でおますけれど、私には異議がおます〉と言い出します。
藤代さんの不満は次のようなものでした。
〈総領娘としての私の立場が無さすぎるようだす(中略)ここ暫く、とくと考えさせてもろうた上で、返事さしてもらいます〉
ここでも戦前に女系家族の総領娘として育った藤代さんの振る舞いは、新しい時代とズレがあるように感じます。
そして、これをきっかけに千寿さんも〈姉さんが暫く考えてからと云うてはりまっさかい、私も今のところは遺言状をうかがうだけのことにして……〉と保留。雛子さんも〈誰かに相談するわ〉とこれまた態度を保留してしまいます。
こうしたことは相続の現場ではしばしばあることで、誰かが「自分の取り分は少なくないのでは」と勘繰り始めると、それぞれの立場から遺産相続がややこしくなっていくものなのです。
次回は、被相続人が考える平等と、相続人が感じる平等に違いがあること。そして、そのギャップをうめる方法について考えていきます。
【連載】
「犬神家の一族」の相続相談
この記事を書いた人
弁護士
一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。