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「犬神家の一族」の相続相談(1)――臨終の席で明らかにされた遺言状の衝撃(3/3ページ)

谷口 亨谷口 亨

2021/01/21

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死の直前、薄笑いを浮かべた佐兵衛翁。もめごとを予見していたのか……

そもそも遺言状、そして相続というのは、被相続人の死後、親族間にもめごとを起こさせないための対策です。

遺言状は、自分だけの思いを書面に遺し、開示されるのは死後になります。事前に内容を明らかにしておくことも可能ですが、死ぬまで遺言状の内容を明らかにしないことのほうが多いようです。そのため被相続人の死後、公開された内容に納得できない人が出てくることで、まさに争族が起こるわけです。

犬神家でも佐兵衛翁は膨大な財産の相続について、一族の誰にも明らかにしていませんでした。佐兵衛翁の臨終の席に並んだ子や孫の相続人たちは、

〈肉親の臨終の席に侍している悲哀の色が微塵も見られなかった。(中略)かれらは何かひどくあせっている。(中略)のみならず、たがいに腹をさぐりあっている。おとろえていく佐兵衛翁から眼をはなすとき、かれらの眼はかならず猜疑にみちたいろをうかべて、同族の人々の顔を見回すのである〉

と、肉親たちは佐兵衛翁よりも財産の行方がどうなるかといったことにばかりに関心が向けられています。一族は、まるで相続をめぐるドロドロとした欲望の塊となっていたようです。そして、

〈たまりかねて長女の松子がとうとう膝を乗り出した。『お父様、御遺言は……? 御遺言は……?』〉

と死が目前に迫った佐兵衛翁に詰め寄ります。佐兵衛翁はかすかにほほえみ、末席の人物を指さします。そこで、

〈いや、御老人の遺言状ならば、たしかにこの私がおあずかりしております〉

と答えたのが、古館弁護士です。

〈古館弁護士のこの一言は、しめやかな臨終の席に、爆弾を投げつけたも同様の効果があった〉なかで、佐兵衛翁は薄笑いを浮かべ、一族の一人ひとりを眺め、息を引き取ります。

死の直前に「薄笑いを浮かべ」ているところも、佐兵衛翁は自分の死後、争いが起きることを予見してあざ笑っているのでないかとすら私は感じてしまいます。

これまで私が相談を受けた相続案件では、さすがにこうした場面はありませんでしたが、古館弁護士のような立場になるのはまっぴらです。なにしろ、遺言状の存在がわかったときの反応を見れば、その公開は親族にとっては緊張の場面であったことは間違いないでしょう。

このように小説と遺言状を読み進めていくと、佐兵衛翁の人間性が分からなくなってきます。一代で財産を築いたわけですから、ワンマン経営者の一面もあったでしょうが、それを上回る執念深い性格というか、人を信用しない猜疑心など、こころの中の深い闇を感じてしまいます。

なにしろ、小説の中での世間からの評判と、私自身の印象にかなりのギャップがある佐兵衛翁。彼は、果たしてどんな思いで遺言状を遺したのでしょうか。なかなか難しい問題ですが、次回からは、犬神家とその周辺の人々、そして、そこに込められた佐兵衛翁の思いを読み解いていきます。

「犬神家の一族」の相続相談(1)――臨終の席で明らかにされた遺言状の衝撃
「犬神家の一族」の相続相談(2)――複雑な家族関係に込められた犬神佐兵衛の思い
「犬神家の一族」の相続相談(3)―― 一族を震撼させた犬神佐兵衛の遺言状
「犬神家の一族」の相続相談(4) ――「信託」を使えば犬神家で起こる事件を防げるか

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この記事を書いた人

弁護士

一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。

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