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令和3年は「聖徳太子1400年忌」――過小評価? 過大評価? 最新研究でわかってきた人物像(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2021/01/21

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最新研究で見えてきた聖徳太子の足跡

日本史上、仏教経典の講義にまつわる最古の記録は、『日本書紀』の推古天皇一四年(六〇六)の、聖徳太子が法華経と勝鬘経(しょうまんぎょう)を講じたという記事である。また、聖徳太子が推古天皇二三年(六一五)に、法華経の注釈書にあたる『法華義疏』をあらわしたと伝えられる。

ただし、聖徳太子の仏教に対する理解がはたしてどの程度の次元だったのかをめぐっては、さまざまな説があり、いまだ定説はない。

『法華義疏』にしても、太子が監修して、専門的な知識をもつ僧侶たちに書かせたという説もあれば、仮に太子自身が書いたとしても、梁の法雲(四七六~五二九)によって書かれた注釈書の『法華義記』と70%が同じ文章なので、著作にはあたいしないという説もある。

この問題については、最新の研究成果が明らかにされたので、ご紹介したい。

最新の研究成果とは、駒澤大学仏教学部教授の石井公成先生が上梓された『聖徳太子 実像と伝説の間』(春秋社)である。この本は、従来の文献批判という手法に加えて、コンピュータ分析による語法解析や著者判定など、最新の科学的な手法をも利用して、聖徳太子にまつわる資料を研究した結果を網羅していて、現時点では最も信頼度が高い。


『聖徳太子 実像と伝説の間』(春秋社刊) 定価 2200円+税 ※品切れ・重版未定

石井先生が特に注目しているのは、『日本書紀』などに使われている漢文の解析である。すなわち、正統な漢文なのか、それとも「変格漢文」とよばれる非正規の漢文なのか、をめぐる研究に他ならない。つまり、使われている漢文のレベルで、書き手の文化レベルが推測でき、ひいて本当は誰が書いたのか、も判別できるというわけである。

詳しいことはご自分で読んでいただくとして、ここでは聖徳太子と『法華義疏』だけに焦点を絞って、石井先生が得た結論を以下にあげる。

三教義疏は、七世紀初めの長安や洛陽の一流の学僧の注釈と比較すれば、時代遅れの古い注釈を基本とし、思考力は非常にすぐれているものの仏教の素養が十分でない人が書いた、素人くさい表現が目立つ、変格漢文の注釈ということになる。特に、『法華義疏』と『勝鬘経義疏』はそう言える。ただ、自問自答を粘り強く展開している部分が見られ、時に独自のすぐれた解釈が含まれているので、七世紀前半の日本で書かれたとすると、画期的な文献と言える。

なお、御物本の『法華義疏』については、筆写したのは太子自身ではなく、書の名人であって仏教に詳しくない儒教系の臣下である可能性が高い。

このようにして、石井先生は、一部の歴史学者が宗教学者の間で主張されている「非実在説」をほぼ完璧に否定し、歴史上に確固たる足跡を残した人物として、聖徳太子の実像を究明している。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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