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まちと住まいの空間 第38回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑨ ――高度成長期の東京、オリンピックへ向けて(『大東京祭 開都五百年記念』より)(5/5ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/07/15

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国際港を目指す東京港へ注がれる熱い視線

映画『大東京祭』は、東京港の紹介にも力が入る。

東京港の「みなと祭り(昭和16年5月20日東京港開港を記念した行事。この年だけは10月に変更か)」では、歌手の暁テル子(1921〜62年)が一日艦長として自衛隊の船に乗り込み、笑顔を振りまく。終戦から10年、一般庶民の間では食うや食わずの状況から脱し、明るい未来が開ける意識を芽生えさせていた。

東京港は、すでに昭和 26 (1951)年から接収の解除がはじまっていた。

昭和31(1956)年には艀(はしけ、河川や運河などの内陸水路や港湾内で重い貨物を積んで航行する平底の船)による東京横浜間の 2 次輸送方式から、大型船を直接入港させる仕組みに切り替える「東京港港湾計画」が策定された。東京都が東京港を国際港として飛躍させるべく力を入れており、映画もその重要性を印象づけるように扱う。

「もはや戦後ではない」と書かれた昭和 31年度の経済白書が話題になった年、日本経済が高度成長するとともに、産業・人口の東京への集中が加速していた。膨大な物資の流通基地として、東京港の機能拡充が求められた時期だった。5年後の昭和36(1961)年には「東京港改訂港湾計画」が策定され、物資供給体制の近代化、港湾機能の拡充などを基本方針として 2243haの埋め立て計画が進行する。


上空から見た1954年の東京湾 出典/『東京この30年 変貌した首都の顔 1952〜1984』朝日新聞社、1984年より

映画が上映される1年前には、建築家・丹下健三が東京湾の真ん中に巨大海上都市を構想した「東京計画1960」を打ち出す。当時の東京は、深刻な交通問題を抱えていた。

【シリーズ】ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり
①地方にとっての東京新名所
②『大正六年 東京見物』無声映画だからこその面白さ
銀座、日本橋、神田……映し出される賑わい
④第一次世界大戦と『東京見物』の映像変化
⑤外国人が撮影した関東大震災の東京風景

⑥震災直後の決死の映像が伝える東京の姿
関東大震災から6年、復興する東京
⑧ 昭和初期の東京の風景と戦争への足音

【シリーズ】「ブラタモリ的」東京街歩き

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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