古代から中世の感染症対策は「寺院建立」か「まじない」か(2/2ページ)
正木 晃
2021/06/09
民衆の感染症対策は「まじない」
国立寺院の建立に民衆がかかわった事例は、東大寺の創建や復興などに多少は見られる。しかし、民衆の感染症対策に影響を与えた形跡はほとんどない。古代から中世を経て近代に至るまで、民衆にとって最も重要な感染症対策は実は「まじない」だった。
平城京から土で作られた小さな馬(高さ4.7~17.1センチ)がたくさん出土している。馬が高貴な身分の人物の乗物だったことから、「行疫神(疫病を広めてしまう神)」の乗物とみなされ、「まじない」に使われていた。
使い方は2種類想定されている。
一つは、疫病の流行を事前に防止したり、緩和させるために献じられた可能性。もう一つは、「行疫神」が自由に行動しないように、あらかじめ足を折ってから、「溝」に流した可能性である。水などから大量に出土し、しかも完成品がほぼ発見されていない事実から、後者が有力とみなされている。
平城京から平安京への遷都に先立って、一時期、都城が建設された京都府の長岡京から、人の顔を墨で描いた壺や甕が大量に出土している。描かれた顔は、鬼という説もあれば、外国から襲来する疫病神という説もある。
祭礼では、これらの土器の中に小石を入れ、土器の口を紙で封じたうえで、息を吹き込んで病を小石に移し、川や溝に流していたようだ。出土した人面の数が、古代の都城のなかで突出して多い事実から、長岡京が建設されていたころ、疫病が大流行していたことが分かる。
なかには、現代まで伝えられてきた事例もある。
「疱瘡神送り」――神奈川県藤沢市では、年神(としがみ)の神座(かんざ)に、通常は白い御幣(ごへい)をさしたサンダワラ(米俵の両端を閉じる丸い蓋)をもちいるが、疱瘡神送りの場合は赤い御幣をさしたサンダラワをもちいる。近代になって、種痘が実施されてからは、学校などで種痘を実施した日に、この「まじない」をおこなっていたという。
この記事を書いた人
宗教学者
1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。