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インドでの新型コロナ感染爆発とヒンドゥー教の関係(3/3ページ)

正木 晃正木 晃

2021/05/13

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やむにやまれない祭礼の開催

どの宗教にも、非日常と日常がある。日本の伝統的な観念では「ハレ(晴)とケ(褻)」だ。

日常=「ケ」をつつがなく全うするためには、ときとして、非日常=「ハレ」が欠かせないというのが、人類が長い歴史を経て獲得した普遍的な知恵といっていい。

そして、非日常=「ハレ」の典型例が祭礼である。祭礼では、日常的な約束事が無視されたり無意味になり、人々はほかには体験できない開放感を満喫する。

もちろん、ヒンドゥー教にも祭礼があまた用意されている。

特に重要なのが、「ホーリー祭(毎年3月ごろ開催されるヒンドゥー教最大の祭礼/春の豊作祈願や悪魔払いなど)」と「ダシュラ祭(毎年9月~10月頃に開催/さまざまなイベントや出し物が行われる)」と「ディワーリー祭(毎年10月~11月の新月に開催されるヒンドゥー教の新年の祝いの祭り/光が暗闇に勝利したことが起源)である。


ホーリー祭で色粉を掛け合うクリシュナと愛人ラーダと牛飼いの娘たち(19世紀の絵画)/via Wikimedia Commons

新型コロナは世界的に初冬~年末年始に広がり、各国でロックダウンをするなど対策が行われた。インドも同様で、この結果、感染の広がりが収まりをみせ始めた時期と「ホーリー祭」の時期が重なってしまった。

なにしろ、前述のとおり、インドは人口が桁違いに多いから、祭礼に参加する人数も桁違いになる。おまけに日常的な約束事が無視されたり無意味になるので、コロナの感染にはマイナスに働くことが明らかだ。しかも、「ホーリー祭」の熱狂は、ほかの二つの祭礼に比べても、はるかに勝るから、事態は深刻きわまりない。

しかし、だからといって、長い伝統をもつ祭礼を中止したり延期したりしたら、信仰心に燃える人々の怒りを駆りたてて、なにが起こるか分からない。前に指摘した通り、「バラバラで、しかも1つ」なインドを維持するには祭礼は欠かせないからだ。為政者にとっては、実に難しい判断だったはずだが、結局、例年と同じように開催された。その結果は、報道されているとおりである。

 

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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