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『鬼滅の刃』から考える鬼の正体――鬼は実在するのか?(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2020/11/18

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自分たちの生活空間、常識から外れた存在は「鬼」

具体的な例をあげよう。山賊や海賊は、ときとして鬼と呼ばれた。彼らは徒党を組んで、つまり不法な集団をつくって、自分たちが支配する地域や海域をとおる人々を襲い、財産を奪い、ときには生命すら奪った。彼らが根城にしていた山や海は、都から遠く離れていて、体制の支配がおよばなかった。

たとえば、おとぎ話に出てくる酒呑童子は大江山という山を根城にしていて、山賊の典型といっていい。同じように、おとぎ話の桃太郎が鬼退治に行く先は、まさに鬼ヶ島であって、これまた典型的な海賊だ。

興味深いことに、酒呑童子は、怪力無双の大人なのに「童子」という名が付いている。その理由は、鬼は普通の姿形をしていないという発想から来ているらしい。年齢的には大人なのに子どもの風貌、並みの大人をはるかに超える怪力をもっているのに童子の容姿。こうしたまったく矛盾する性質をもっていることも、鬼の重要な点だった。

農業に従事しないで、山のなかや川のほとりで生活の糧を得て暮らしていた人々も、ときとして鬼と呼ばれた。古代や中世、いや近世でも、もっといえば昭和30年代からあとの高度成長期まで、日本の産業の中核は圧倒的に農業だった。だから、都市は別として、普通の人々(常民)の大半は農民だった。

そんななかで農民ではない人々は、ただそれだけで普通ではないとみなされがちだった。それにくわえて、仏教が殺生をかたく禁じたために、山や川で動物をとってその肉を食ったりその皮を加工して利用したりする人々は、特殊な存在と考えられがちで、鬼と呼ばれることがあった。

また、農業は土地を確保して、そこを毎年毎年、耕さなければ成り立たないから、農民は定住する。だから、定住しないで、あちこち旅しながら生活の糧を得る人々も、ふつうの人々とはみなされず、ときとして鬼と呼ばれた。

さらに、普通の人々ではもつことができないような特殊な知識や能力をもっている人々も、鬼と呼ばれることがあった。

普通の人々から見れば、自分たちが知らないことを知っていたり、自分たちにはとてもできないことができたりする人々は、尊敬や憧れの対象であると同時に羨望や嫉妬の対象でもあり、ひとつまちがえれば、恐怖の対象でもあり、鬼というカテゴリーに入れられてしまう可能性があった。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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