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相手を責めても始まらない。そう気付いてから変わった家族のカタチ(前編)(2/2ページ)

しばはし聡子しばはし聡子

2021/02/04

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―月1回だった面会がその後どのように増えていったのでしょうか。また増えた理由はなんだと思いますか?

しばらくの間は、お互い近所に住んでいるにも関わらず、わざわざ第三者機関まで出かけていくという面会を行っていたのですが、ある日、元妻と子どもたちが引っ越ししたため、居場所が分からなくなりました。また会えなくなるのでは、という不安もよぎりましたが、第三者機関のサポートのおかげで月1回の面会は守られていました。

担当者から薦められて、面会時においては、当時明石市が作っていた面会養育手帳というものを利用した交換日記のようなやり取りもありました。元妻は面会までにあった子どもたちに関する出来事などを、私は面会時での子どもたちの様子を、同じ手帳に書き記していきました。そのようなやり取りなどを通して、放っておけば途切れてしまった関係をつなぎとめていただくなど、第三者機関の担当者には大きく助けられました。

第三者機関でのサポート期限は1年間だったのですが、その時期がきてもサポートなしでの面会には不安がありました。そこで第三者機関でのADRを薦められ、1年間お世話になった担当者に間に入ってもらって、離婚後初めての元妻との直接の話し合いの場となりました。数年ぶりの元妻からは、私に対する頑なな感情とともに、子どもたちに対する愛情も感じられました。ADRでの話し合いの結果からサポートの延長が決まり、付き添い型から受け渡し型を試す、自分たちだけでやり取りをしてみるなど、担当者のアドバイスを受けながら、徐々に第三者機関を利用しない面会もできるようになりました。

その後あるときからは、長女が持っていたキッズ携帯のショートメールで直接やり取りもできるようになり、「また会えなくなるのでは」という不安はなくなっていくとともに、月○回という回数を意識することもなくなっていきました。それからは、私の実家でのお泊まりができるようになったり、(子どもたちの希望でもあった)元妻と子どもと私とで買い物や食事にいくこともできるようになったりと、状況はどんどん良くなっていきました。元妻にとってもさまざまな葛藤があったなかでの面会だったとは思いますが、子どもたちが喜んでくれるために努力してくれたんだと感謝しています。

後編につづく≫

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この記事を書いた人

一般社団法人りむすび 共同養育コンサルタント

1974年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。自身の子連れ離婚経験を生かし当事者支援として「一般社団法人りむすび」を設立。「離婚しても親はふたり」共同養育普及に向けて離婚相談・面会交流支援やコミュニティ運営および講演・執筆活動中。 *りむすび公式サイト:http://www.rimusubi.com/ *別居パパママ相互理解のオンラインサロン「りむすびコミュニティ」 http://www.rimusubi.com/community *著書「離婚の新常識! 別れてもふたりで子育て 知っておきたい共同養育のコツ」️

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