週末田舎暮らしが解消する!? 都会の一途な暮らしの生きづらさ(2/5ページ)
馬場未織
2017/09/14
<ケース1>ワンオペ家事からの脱出
先日、わたしは子どもを産んでから初めて、家族と離れて海外出張へ行きました。実に16年ぶりのことです。
これまではせいぜい1泊の出張で、それもごくたまにある程度。こどもが3人いて毎日膨大な家事がありますから、長く家を空けることなど考えもしませんでした。ほとんどワンオペで子育ても家事もしてきましたから、わたしがいない状態で家庭運営が成立するとは思えなかったのです。
なぜ、ワンオペかというと、それが一番楽だから。
確かに日々は忙しいですが、分担した相手が思うように動いてくれないというイライラを抱えるよりは自分がやってしまったほうが精神衛生にいい、という、ある種の怠け心がそうさせていたと言えます。
今回、行くことを決断したのは出張の3カ月ほど前。それから先は、ひたすら家事分担のシステムづくりに勤しみました。
個性に合った仕事を割り振り、手ほどきをしながら少しずつ任せていきます。洗濯はあなた、ゴミ出しはあなた、ネコの世話はあなた、朝の食事と片付けはあなた、夜の食事と片付けはあなたね。
別に、わたしが仕事の合間にできていることを複数人で分割するのだからたいした話ではないはずですが、慣れていないことに人はストレスを感じますからね。十分に慣らし運転をする時間を持たないと、わたしが不在の間に妙なトラブルが起き、「やっぱりママがいてくれないと大変」なんていう世論ができたら大変です! 笑。
そんなこんなで、5日ほど不在にしましたが、それなりに何とかなっていたようです。夏休みが終わり、新学期が始まるという微妙な時期にもかかわらず、トラブルなく過ごしていたのはよかった。「あー、ようやく任務から解放される」と、ママ代行を自負していた長女は涙目でしたが(ふふふ。ママは大変なんだよ)。
“家事大臣がいないと家がコケる”という事態は、海外出張に限らず起こりうること。
たとえば、仮にわたしが怪我や病気で入院するようなことだって、十分に考えられるのですから。これまでは、「だからちゃんと人間ドックを受けて、いなくなるようなことがないようにしよう!」とばかり思っていましたが、誰かが欠けると機能不全になるような家庭運営は、実は健全なものではなかったのかもしれないなあ、と反省しました。
一番小さな組織である“家庭”であっても、それを「自分さえいれば!」とマッチョに乗り切ろうとするのは、言い換えれば、運営システムづくりを怠っているということだったと気づいたのです。
男女の区別なく子育てや家事をしよう、という話はジェンダーの話題のなかで出がちですが、本来は家族を構成する誰もが発動できる状態にあるべきです。ただ、そのシステムをつくるのは、実はけっこう手間なことです。
一度つくられてしまえば、これほど心強いことはないんですけどね。
この記事を書いた人
NPO法人南房総リパブリック理事長
1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。