まちと住まいの空間 第28回 「ブラタモリ的」東京街歩き⑤――本郷台地を削った川の痕跡を歩く(3/3ページ)
岡本哲志
2020/09/23
「鐙坂」か「炭団坂」か、川の流れから選ばれた炭団坂
川の痕跡らしき窪みを本郷通りで確認してから、タモリさんたち2人は菊坂の方へと川筋跡を辿って歩きはじめる。谷となる菊坂の南側斜面にできた坂は西から東へ鐙坂(あぶみざか)、炭団坂(たどんざか)、本妙寺坂(ほんみょうじざか)となる。番組の最後のスナップで何とか鐙坂も登場するが、「ブラタモリ本郷台地」でのメインの坂は炭団坂が選ばれた。
タモリさんの著書『タモリのTOKYO坂道美学入門』からは、菊坂あたりのエリアで取り上げられた坂は鐙坂だけが番組で紹介された。
鎧坂
鐙坂は坂下で優雅に曲線を描く魅力的な坂道である。では、「ブラタモリ本郷」がなぜ鐙坂ではなく、炭団坂を選んだのか。これまでの流れから、渓谷を感じながら川筋跡を辿るコンセプトがそうさせたのだろう。
タモリさんと久保田アナウンサーは、本郷通りから細い隙間の路地へ入る。菊坂の奥へと続く路地の位置が本郷通りの一番低い窪地と一致する。L字型に曲がる路地の奥に潜入し、菊坂に出る。そこからもう少し菊坂を下ると、本妙寺坂に至る。
本妙寺坂下から左右に川筋がカギ型に折れ曲がり、菊坂下道と呼ばれる低地に川が流れ込んだ。
カギ型に曲がる川の跡
菊坂は窪地に成立した街で、川が台地を削り取ってできた。その川の痕跡を辿れることが菊坂の魅力の一つとなる。
川の痕跡
本妙寺坂下あたりからは、川の跡が菊坂よりも一段と低い場所を流れた。川筋を辿って歩くと、左側にある崖面がさらに高低差を増す。川の跡を辿り、南面の崖を確認しながらのブラ歩き。渓谷の雰囲気を感じるためには、やはり炭団坂でなければならなかった。鐙坂と本妙寺坂の間にある階段状の急坂、炭団坂を上がる。
炭団坂
「炭団」と聞いても現代に生きる若者はピンとこないかもしれない。炭団は炭に「ふのり」などを混ぜ、球状に固めた燃料。ガスや電気が暖房として利用される以前はどの家でも使われていた。当時一般的に使う「炭団」を坂名にすることで、イメージが膨らむ。これは老人に限るが。昔の人もあれこれと想像をたくましくして、急な坂道を炭団に置き換えて解釈したのであろう。
炭団坂の坂上に達すると、右に入る細い道が通る。マンション開発で新しく通された道である。その道を進むと、右手に谷筋の菊坂の屋並みが一望できる。
窪地に成立する菊坂の屋並み
菊坂一帯は建て替えが急速に進んできたが、過去の痕跡をさり気なく取り込めて街が変化してきたように思える。見晴らしのよい道も、マンション開発とセットで整備されたものだ。「ブラタモリ本郷台地」では、谷の形状がよくわかる見晴らしのよい場所から、川によって削り取られた「渓谷」(番組でタモリさんが渓谷を強調)をじっくりと眺める。坂の美しさより、キワをつくりだした川の痕跡の面白さに重きが置かれた。
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この記事を書いた人
岡本哲志都市建築研究所 主宰
岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。