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奈良の大仏、祇園祭――疫病に対峙してきた宗教の歴史(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2020/04/26

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祇園祭は

もっとも天平年間の大流行は日本人のかなりの部分に天然痘の免疫を獲得させた形跡があり、以後は、天平年間ほどの大流行は起こらなかった。とはいえ、致死率は相変わらず高く、治癒しても醜い瘢痕(あばた)が残ってしまうこともあって、恐れられ続けた。

つい先日、こんなニュースが伝えられた。新型コロナウイルスの感染が拡大していることから、京都の八坂神社では境内の2か所に、通常であれば夏に境内に設けられる疫病の退散を願う大きな輪、「茅の輪」を先月から特別に設置した。「茅の輪」は、かやを束ねて作られた直径2mほどの大きな輪だ。京都市東山区の八坂神社では、年に2回、6月30日の「夏越の大祓式」と、祇園祭の最終日、7月31日の「疫神社夏越祭」のときにだけ、境内に設けられる。夏以外の季節に設けられたのはコレラが流行した明治時代以来、143年ぶりだそうだ。

八坂神社といえば、京都の夏祭りを代表する祇園祭を主催することで知られる。祇園会(ぎおんえ)の起源についてはいろいろな説があるが、確実な史料によれば、平安中期の天禄元年(970)にはじまったというのが、真相のようだ。

祭神として祀られてきた牛頭天王の姿は、その名前にふさわしく、頭のうえに黄牛の顔をいただき、二本の角を生やした忿怒相で、夜叉のごとき、恐ろしい容姿容貌だ。当初はその霊威で、非業の死を遂げてこの世に祟りをもたらすという御霊(怨霊)を鎮めるために、祀られたらしい。
同時に、この神には異国から訪れた疫病神という性格もあり、その祟りで天然痘のような外来の疫病が流行するともみなされた。したがって祭礼を催して鎮めないと、大変なことになると信じられるようになる。

この目的で始められた大規模な祭礼が祇園会にほかならない。このような歴史を知れば、八坂神社が境内に「茅の輪」を設けた理由も納得できる。

 文/正木晃(宗教学者) 画像/123RF

 

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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