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宗教と病気――切っても切れない深い関係 対応次第で繁栄と衰退が繰り返された歴史(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2020/03/22

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ペストがきっかけになったヨーロッパでの宗教改革

ただし致命率が圧倒的に高い大規模な疫病の発生に、宗教が対処できなかったことも事実である。
その結果、宗教が衰退する原因になったことも疑いようがない。

最も有名な事例の一つは、14世紀の中頃から15世紀の初め頃に、ヨーロッパをゆるがせたペストの大流行である。ペストには何種類かあるが、なかでもリンパ節が冒される腺ペストは、致命率が60~90%に達する。
主にペストに罹ったクマネズミについたノミによって媒介され、全身の皮膚が内出血によって紫黒色になるので、「黒死病」とも呼ばれ、非常に恐れられた。ヨーロッパでは1348~1420年に大流行し、域内全人口の30~60%が死亡したと推定されている。



このときの大流行は、いわゆるグローバリゼーションがもたらしたのではないか、という説もある。この時代、「モンゴルによる平和(パックス・モンゴリカ)」によって、ユーラシア大陸を自由に行き来できる情勢が生まれ、ペスト菌に罹患したクマネズミや人間が東西を自由に行き来した。そのために、中央アジアで発生したペストがユーラシア大陸の全域に広がってしまったらしい。
ペストの大流行によって、世界の総人口4億5000万人のうち、約1億人が死んだと推計されている。

その衝撃は甚大で、社会構造を激変させたほどだった。東アジアでは、モンゴルが建国した元の人口が3分の1にまで減少してしまい、滅亡の一因になったという研究がある。
ヨーロッパが受けた衝撃はもっと激烈だった。30~60%が死亡したというのだから、当然である。人口の減少は労働人口の減少を招き、農奴に頼っていた荘園制が成り立たなくなった。地域によっては、農業の中心が人手のかかる穀物生産から、人手のあまりかからない羊の放牧に移行した。ユダヤ人のせいでペストが流行したというデマが各地で広まり、ユダヤ人に対する迫害が横行した……。

しかし、最大の影響を受けたのは、ローマ教皇を頂点とするカトリック教会だった。
これほどの悲劇を前に、何もできなかったという人々の声が、カトリック教会の権威を根底からゆるがしたのである。ペストの大流行から100年を待たず、カトリック教会に叛旗をひるがえす宗教改革運動が勃発し、プロテスタントが誕生したのは、決して偶然ではない。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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