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渋沢家――さまざまな分野に広がる子孫、財産より人脈を残した家系

菊地浩之菊地浩之

2021/02/14

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※本稿は2019年4月17日掲載記事「『新一万円札・渋沢栄一』財産より人脈を残した家系」を改筆・加筆したものです。

企業をつくってはそれを元手に次々企業を興す

NHK大河ドラマの記念すべき第60回作品『青天を衝け』の主人公は渋沢栄一(1840~1931)。一般にはなじみの薄い、この人物は「日本近代資本主義の父」と呼ばれる。

それは、栄一が、第一国立銀行(現・みずほ銀行)をはじめ、王子製紙(現・王子ホールディングス)や東京株式取引所(現・東京証券取引所)、東京海上保険(現・東京海上日動火災保険株式会社)など数多くの企業を設立し、日本産業のインフラを整えた人物だからだ。

しかし、渋沢家は財閥として大成しなかった。

栄一は次々と企業を創ってはいったが、それらの株式をおさえて「渋沢家の家業」にはしなかった。株式を売却して支配を放棄し、そのカネで新たな企業を設立するための原資とした。つまり、栄一は渋沢家の繁栄よりも、多くの分野で多くの企業をつくり続けることに興味があったのだろう。

 

また、財閥化するには、当然、後継者の育成が欠かせないが、栄一は嫡男・渋沢篤二(1872~1932)を廃嫡している(後継者から除外し、家督相続させない)。理由は定かではないが、ビジネスに向かなかったのだろう。

渋沢家の家督を継いだのは、篤二の長男・渋沢敬三(1896~1963)。栄一との年齢差は56歳で、事業の継承は難しい。そんなこともあって、財閥形成をあきらめたのだろう。

なお、敬三は東京帝国大学を卒業して横浜正金銀行(東京銀行を経て、現・三菱UFJ銀行)に入ったが、満30歳の時に第一銀行に転じて取締役調査部長に就任。副頭取まで昇進し、1942年に日本銀行に転じて副総裁。1944年から1946年まで日本銀行総裁を務めた。

 

さまざまな分野に広がる渋沢家の子孫たち

栄一の子どもは4男3女で、次男は東京石川島造船所(現・IHI)の監査役、三男が日本製鉄の常務などに就いている。末男・渋沢秀雄(1892~1984)は田園都市(現・東京急行電鉄)取締役で、戦後は文化人として著名だった。

渋沢家はこれら企業の株式をほとんど持っていなかったが、栄一が世話した大物財界人らが、「御恩返しという意味でもあるまいが、(渋沢)翁の秘蔵っ子を大切に預かって守り育て、小さい会社ながら女婿や孫どもまでいっぱしの重役になりすましている」と戦前の書籍は記している。栄一は子孫に美田(財産)を残さず、人脈を残したのだといえよう。

 

『青天を衝け』の音楽を指揮する尾高忠明(1947~)もまた栄一の子孫(曾孫)にあたる。尾高は栄一の妻・千代の実家なので、義兄の子孫なんじゃないかと勘ぐる向きもあろう。たしかに千代の長兄・尾高惇忠の曾孫でもあるのだが、惇忠の子・尾高次郎と栄一の庶腹の娘が結婚しているので、尾高姓なのに栄一の子孫になるのだ。

これまで馴染みの薄かった渋沢栄一だったが、大河ドラマの主人公に続いて、2024年には新1万円の“顔”として登場する予定で、身近な存在となりそうだ。

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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