第7回 伊豆・福浦――南イタリアの港町のような美しさと江戸自体の息づかい(2/3ページ)
岡本哲志
2018/12/19
真鶴と福浦を結ぶ古道
写真1 真鶴へ抜ける峠越えの道
大正13(1924)年に鉄道の熱海線が引かれた。昭和9(1934)年には熱海・沼津間のトンネルが完成する。その後、東海道本線のルートが変更され、真鶴や福浦の陸の表玄関が真鶴駅となり、駅が真鶴と福浦の人たち双方の出合いの場となる。真鶴駅ができる以前はといえば、半島を横断する険しい坂道を昇り降りしていた。現在ほとんど歩く人もいない道は、夏場になると雑草に隠れて道なき道となる。峠越えはそのような道を歩かなければならない。この道が真鶴と福浦を結ぶ重要な陸の道であり続けてきた。連載の5回目「「伊豆・真鶴」のラビリンス空間①」で、真鶴駅から“背戸道”を辿って突きあたったT字路を右に上がる坂道が福浦に至る古道である(写真1)。
真鶴から、峠を越える道を辿り福浦まで、真鶴半島を横断する道は開発とほとんど無縁であった。静かな道を歩く心細さも加わり、江戸時代に生きた人たちの息づかいがどこからともなく聞こえてくるような錯覚に落ち入る。上り坂であった道は平坦となり、尾根沿いに通された幹線道路を横切った先も思いのほか平坦な道が続く。
写真2 峠越えの道から海と福浦の町並みを望む
真鶴から、峠を越える道を辿り福浦まで、真鶴半島を横断する道は開発とほとんど無縁であった。静かな道を歩く心細さも加わり、江戸時代に生きた人たちの息づかいがどこからともなく聞こえてくるような錯覚に落ち入る。上り坂であった道は平坦となり、尾根沿いに通された幹線道路を横切った先も思いのほか平坦な道が続く。
道が少し下りはじめた感触を足裏に感じた時、覆われた木々のあい間から海が日の光りを反射させ、キラキラと輝く風景が目に飛び込む(写真2)。
写真3 斜面地を上る細い道
開けた場所からは海の広がりと福浦の町並みが確認できる。この先は急な階段が続き、何段も踏み締めて降りることになる(写真3)。眺望はすばらしく、眼下にある福浦の家並みが近づく。
この記事を書いた人
岡本哲志都市建築研究所 主宰
岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。