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まちと住まいの空間

第4回 「ブラタモリ」に登場した羽田の漁師町を歩く②――どうして七曲がりができたのか?(3/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2018/09/26

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魚の骨、あるいはぶどうのふさに実がなるようにコミュニティの単位を形成しているようだ。ここまでは、現地を幾度か歩き、空間の仕組みを読み解いた推理である。

そこでディレクターに次回街歩きまでの宿題を出す。「魚の骨のように路地がつくりだす空間は漁をする単位となっていたのではないか?」との問いを出した。現地でヒアリング重ねていたディレクターから、「その通りでした!」とメールが入る。かつては、南北に延びる道は、それぞれ海老を捕る集団、貝を捕る集団などに分かれており、その両側の魚の骨のような路地で構成される空間が船を操る共同体の単位となっていたという。しかも、この仕組みが今でも町会の下部組織の組として存続しており、路地がその単位をまとめる要となっている。

そのメールから、最も知りたかった「七曲がりはどうして七つ曲がっているのか」という問いが解決された。江戸の繁栄で、大量の魚貝類を江戸に運ぶために、「七曲がり」は中世に袋小路だった道を羽田道からの延長として、袋小路の末端を結んでいった結果「七曲がり」の道になってしまったという考えだ。

さて、魚の骨、あるいはぶどうのふさと幹のような関係の空間的仕組みは、羽田だけにあらわれた特異な空間形態ではない。独特の空間構造に見えるが、真鶴も閉ざされたコミュニティ単位と、それらを束ねる道が湊に向かう空間の仕組みは、類似している。次回はその真鶴を訪れることにしたい。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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