不動産永遠のテーマ「賃貸vs購入」に決着?――帰属家賃を考える
朝倉 継道
2021/06/24
低金利が支える「購入が得」
家は買うのが得か、借り続けるのが得か。不動産に関する話題のなかでも、とりわけ永遠のテーマといっていい。そこで、この話に「プロ」が切り込むと、大抵、シミュレーションが展開される流れになる。
35年ローンと平均的な頭金額を想定した、住宅を購入した場合の40年程度の総住居費を割り出しつつ、賃貸に住み続けた場合のそれと比べていく、よくあるパターンだ。
すると、通常、答えとしては「購入が得」との結果が出やすいのが、いまの傾向といっていい。
購入の場合に手元に残る物件資産への評価(最後はこれを支出全体から差し引いて答えを出すことになる)を低く見積もったケースでも、トータルで購入の方が「お得」となる場合が多いのが、おおむね現在の状況だ。
ちなみに、「いま」「現在」と、ここでかさねて記す主な理由は、金利にある。いわゆる歴史的低金利の継続によって、家を購入する場合の総合的負担が、いまはかなり抑えられている。
このことが、強力な下支えのひとつとなって、「不動産は買う方が経済上お得」との答えを生み出しやすい土壌が、現在、主に都市部においては形成されている。
もっとも、こうした、家は買うべきか、借り続けるべきかについて、本当は多くの人々が、初めから答えを持っている。それは、この問いが、実は損得ではなく価値観を問うているものであるからだ。
すなわち、家を持つことを人生成功のシグナルフラッグとして心に捉えている、おそらく多数派であろう日本人において、この答えは自ずと決まっている。
「家は買えるなら買う」が、その答えだ。
持ち家に住む人は1人2役の存在?
さて、そんな前置きをしたうえで、この記事では、賃貸が得か、購入が得かについて、上記のようなシミュレーション方式とは若干異なるモノサシを提供したい。
それは、「帰属家賃」という概念の応用だ。帰属家賃といえば、GDP(国内総生産)を構成する重要な一部として、ご存じの方も多いだろう。
「持ち家に住む人も、実は自分の家に家賃を払っている(持ち家に住む人は、自分自身に家を貸す事業主である)」と、みなすことで、持ち家への居住がサービス消費等にカウントされるかたちをつくりだす。
聞くと、誰もが一瞬不思議に思うが、これをやらなければ正しく国際比較できるGDPがはじき出せなくなるなど、インチキでもなんでもない、真っ当な経済上の概念だ。
そこで、この帰属家賃の考え方を土台に据えていくと、家を買って住むことと借りて住むことは、ざっと見て、同じ経済的行為となる。
すなわち、ローンを組んで家を買い、そこに住むということは、自らが購入した家を自らに貸して、毎月家賃をもらうことに等しい。
この場合、家を買い、貸している立場の自分は大家(オーナー)となり、そこに住んでいる自分は店子(たなこ・入居者)となる。
店子は、働いて稼いだお金をせっせと毎月家賃として大家に渡し、大家である自分は、こちらもせっせと銀行などにローンを返す。
つまり、持ち家を買って住んでいる人というのは、世の中の賃貸アパートやマンションを舞台に入居者とオーナーが展開している経済行為につき、これを1人2役で演じている存在ともいえるわけだ。
店子がよろこぶと大家が泣く
この考え方をベースにすると、賃貸と購入の論理がうまく分解され、分かりやすくなる。
例えば、家の水道が突然壊れ、水が出なくなったとする。店子である自分は「これでは暮らせない」と、大家である自分に文句を言う。大家である自分は「スミマセン」と言って、修理代を払い、水道を直す。
結果、店子である自分は水道が直り満足だが、大家である自分の方はというと、思わぬ出費にすっかり意気消沈だ。
家が地震に襲われた。その後、雨漏りが始まった。どこから漏れているのか、調べるだけでかなりの時間と費用がかかりそうだ。
そこで、通常の賃貸物件の店子ならば、「こりゃもう住めない。あきらめよう」で、そこを出ていくこともできる。これこそが、賃貸に住むことの何よりのメリットだ。
が、大家でもある店子の場合はそうはいかない。店子が家を失うことは、イコール、大家自身も家を失うことになる。
すなわち、その場から逃げたくとも逃げられない気の毒な店子である自分のために、大家である自分は、なんとしてでも、必死で雨漏りを直してやらなければならない。
つまり、よくいわれる家を持つことで失われる自由とは、ローンのために仕事をやめられなくなることではない(それは家賃も一緒だ)。
「移動の自由」あるいは「避難の自由」といった、賃貸物件の借主ならば、誰もが当然にもつ自由のことをいう。
ただし、これらの自由は、持ち家の所有者がもつ「自宅を好きなように改装できる自由」などとは、トレードオフの関係になっている。
ふざけた?店子も必死で保護
さらに、店子が35年の“家賃”を払い終えたとしよう。すると、大家も同時にローン完済となる。
そのうえで、店子の住居費は翌月から0円になるが、それでも店子は家を出ていかなくていい。
すなわち、これこそが家を買うことの最大のメリットだ。老後の安心の確保であり、よくいわれる「資産が残る」ということの具体的な効果にほかならない。
しかしながら、この場合でも、大家である自分は大家の責務からは逃れられない。
たとえ、「今後は一生家賃0円」の永久ボーナスに浮かれているふざけた(?)店子でも、大家は、彼を安心かつ安全に、そこに住まわせ続けてやらなければならない。
一方で、肝心の家の方は、その頃になればいよいよ老朽化してきたりもする。運が悪ければ、あちこち故障も出始める。
すると、大家は、やはりこれまでどおり必死でそれを直し続けることになる。そうしなければ、店子である自分自身がそこに住めなくなるからだ。
変化と不確実性のなかでの今後の「家」探し
以上、帰属家賃の考え方を実際の家の「借りる・買う」に応用し、少し漫画チックにまとめてみた。
触れたとおり、経済統計上の便宜としてもちいられるこの概念だが、人が家に住むということの本質をあぶり出してくれる、格好のベースになると私は思っている。
そのうえで、さきほどは「家を持つことを人生成功のシグナルフラッグとして心に捉えている、おそらく多数派であろう日本人」と、述べた。
しかし、近年、そうしたわれわれの想いは、実はかなり揺らいでいるはずだ。
ITテクノロジーの進展による人々の働き方の変化や、年々不確実性を増す気象環境の様子なども相まって、家は買うべきか、それとも長期・短期を織り交ぜての多様なかたちで借り続けるべきか? 本気で悩む人も、いまは増えてきていることだろう。
そうした人々にとって、今回、この記事に述べたような根本論的な話というのは、家と人生を考えるにおいて、とてもよい支点、もしくは始点となるのに違いない。
この記事を書いた人
コミュニティみらい研究所 代表
小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。